外食産業は現在飽和状態にあり、成功を収めるには経営者の才覚が必要になるかと思います。
そんな中『まい泉』の岡本社長は10年で売上を70億円から120億円まで伸ばした優れた経営手腕をお持ちで、現在も躍進を続けています。
『まい泉』の岡本猛社長とはどのような人物で岡本氏の経歴、年収、そしてどのような経営手腕を用いてここ10年『まい泉』を成長させてきたのか調べてみました。
そして岡本氏のご両親がすごい人だったことが分かりました!
岡本猛氏のプロフィール

出典:現代ビジネス
名前:岡本猛(おかもと・たけし)
生年月日:1957年1月8日(2018年11月現在61歳)
出身地:大阪府
出身高校:大阪教育大学付属高校
出身大学:慶應義塾大学
職業:井筒まい泉株式会社 代表取締役社長
岡本猛氏は大阪府茨木市に生まれましたが、生まれてすぐに帝塚山に引っ越されました。
小学校から高校までは大阪教育大学付属の小、中、高の一貫学校を卒業し、大学は慶応義塾大学商学部へと進学されました。
大阪教育大学付属中学・高校も偏差値70を超えているようですし、慶応義塾大学商学部の偏差値は65位なので、岡本氏、頭が良かったのが分かります。
小学校から高校までの私立一貫校に通いしかも大学は私立トップに入学されているのでかなり裕福な家庭環境だったことが推測できますね。
岡本猛氏の家族
岡本氏のご家族が結構すごい方々なのです。
どうりで岡本氏の年代で私立の小学校から高校までの一貫校へと行けた訳だと納得です。
岡本氏の父親は元プロ野球選手であり、プロ野球解説者としても有名な元近鉄バッファローズ監督の岡本伊三美氏です。

出典:http://hawksism.net
こんなにすごい方なのですが、岡本氏が物心がついた頃には現役を引退しており、解説者やコーチ、監督としてキャリアを歩み始めており、そのイメージしかなかったようです。
そして父親とキャッチボールをした記憶もないのだとか。
何か少し残念な気もしますが、本人曰く運動神経には恵まれていたが、根っからのい野球オンチだったそうです。
そして岡本氏の母方の祖父は、富士火災の社長を務めていた経歴がある財界人なのです。
岡本猛氏はアスリートの父方の血よりも大経営者の血筋である母方の血を受け継いでいるのかもしれませんね。
ただ、父親である岡本伊三美氏も近鉄専務取締役球団代表も務めるなどされていたので、財界人との交流は祖父に負けないものもあったようですが・・・。
神のみぞ知るでしょうか。笑
岡本猛氏の経歴
さて、大学卒業後の1980年にサントリーホールディングス(HD)に入社します。
サントリーに入社した当時はウィスキーの売上が絶好調で岡本氏は吉祥寺・三鷹エリアに配属され販売担当を担います。
1984年には、サントリーでも花形部署の販売一課に異動になり頑張ろうと思っていた矢先、なぜか翌年には4人しかいない業態開発チームに異動となります。
ですがここが岡本氏のターニングポイントとなります。
ここ業態開発チームで岡本猛氏に下された指示は、新規に2000円で飲めるバーを開発すること。
この価格帯に合わせるには従来プロのバーテンダーがオーセンティックバーやっていたことをアルバイトでも出来るようにしないといけない。
それには機械化とマニュアル化が必須。
そしてどこで折り合いをつけるのかを考えなければなりませんでした。
試行錯誤の末、この2000円の本格バーは、「ジガバー(Jigger Bar)」として全国に広がっていきました。

出典:http://www.kanazawa-kagayasai.com
岡本猛氏はその後、CAFE&BARの「PRONTO」も立ち上げます。

出典:PRONTO
ブログ主も一時期学生の頃「PRONTO」でアルバイトをしていたことがあるのでサントリー系列だったのは知っていましたが、岡本氏が主力メンバーとして開発された外食チェーンだったのですね・・・。
知りませんでした。
岡本氏のお陰(?)で夜バータイムのカクテル作りはマニュアル化されており、簡単に作れるようになっていましたよ!
バブル絶頂期の1990年に杉本貴志さんが作られ有名デザイン会社「スーパーポテト」に出向を命じられます。

出典:http://www.id-job.jpn.com
岡本氏はここに2年半出向し、300億円ものプロジェクトを行ったり、プロジェクトの指揮を執ったり、ここで多くの人脈を作ります。
スーパーポテト出向の2年半後、再びサントリーのグルメ事業部に戻ります。
2002年に当時の上司に呼ばれ、その前年に作った計3人の外食事業部に配属されます。
今度はこの部を軌道に乗せた岡本氏のもとに「井筒まい泉」のM&Aをまとめろという指令が下ります。
「井筒まい泉」とは、一介の主婦だった創業者・小出千代子氏が作りあげた「まい泉」という老舗のレストランです。

出典:食べログ
レストラン以外にも、デパ地下にショップを展開したりカツサンドを高級スーパーに卸したりもしていた中堅企業でした。
小出千代子氏とまい泉の歩みについてはこちらの記事をご覧ください!

2008年に事業継承された際には売上が70億円あったと言いますが、経営的に見れば家業の延長線上で、これを企業へ育てていくというのがM&Aを成立させ、社長として出向する岡本氏の挑戦でした。
10年後の2018年には売上も70億円から120億円まで伸ばしており、展開エリア・ビジネス分野も拡大路線に進めています。
まさに業態開発で積んだ様々な経験、スーパーポテトで大きなプロジェクトを指揮した経験等があったからこそ、この老舗企業を企業として成長させてこれているのですね。
岡本猛氏の経営手腕
小出千代子氏が1965年に創めた「まい泉」のモットーは「お客様第一の心を大切に」でした。
岡本氏はこのモットーを受け継ぎ、家業から企業へ着実な発展に務められており、現在はこのモットーを軸に4つのビジネスに取り組んでいます。
- レストラン事業(国内12店舗)
- 中食事業(いわゆるデパ地下販売で全社売上の6割を占める)
- ケータリング事業(いわゆる仕出しでWeb予約を受け付けながら特に企業向け販売が伸びている)
- 高級スーパー等への卸売
3つ目のケータリング事業に関しては、小出氏より事業継承した際には無かった形態で、岡本氏が社長に就任されてから始められた事業です。
岡本氏のそれまでの経験から、老舗に残るモットーは引継ぎながらも「まい泉」に足りないものを見抜き、ケータリングビジネスも追加するなど運営方法や事業形態を転換し、確実に成長する企業に育成してきたのですね。
そして新事業の他にも岡本氏は拡大路線という経営手腕で舵を取ります。
2012年にはタイへ海外初出店を果たし、2015年んはフィリピン、2016年には台湾へと出店。
そして現在現地のパートナーと組んで日本で築いた味を一切変えることなく海外事業に力をいれており、タイでは10店舗、フィリピンは4店舗、台湾は3店舗展開中です。
岡本氏の社長就任後、「お客様の美味しい笑顔」がまい泉の理念・目指すところと掲げています。
まさに創業者小出氏のモットーの延長戦上の理念ですね。
しかしそのためには社員が明るくイキイキと働けるような会社でなくてはならないため、岡本氏は人事制度も構築し、風通しの良い社風を醸成し、全社員が「お客様の美味しい笑顔」の獲得に日々努力するような会社作りに励まれています。
やはりお客様と直接接するのは社員なので、社員が元気でイキイキとしていないとお客様に伝染しますよね。
そして社員がそのブランドのイメージとなることも多々あると思います。
そのためには社員の満足度や幸せを構築するために風通しの良い健全な企業を構築していく必要があるのですね。
引続き社員もお客様も「美味しい笑顔」になれるような「まい泉」を築いていって欲しいですね。
岡本猛氏の年収
さて、岡本氏の年収について調べてみました。
前述の通り、「まい泉」を引き継いだときは70億円の売上がありましたが、10年後の2018年には120億円と50億円も売上を伸ばしています。
もちろん「まい泉」で働く従業員のお陰が大きいのですが、岡本氏の経営手腕があったからでもあります。
120億円の売上を誇る会社の社長ですから1億を行っていてもおかしくはないような気がしますが、インターネット上での予想年収では5000万~8000万で推測している方が多いように感じました。
また、岡本猛氏はサントリーHDからの派遣社長なのでやはrインターネット上での予想が当たっているのかなとも思いました。
まとめ
いかがでしたか?
岡本猛氏はサントリーHDで様々な部署にて経験を積まれてから「まい泉」の代表取締役社長に就任されました。
そしてそれまでの経験から培ったノウハウで「まい泉」を家業から企業へ転換させるだけではなく、新たな事業を始めたり、展開エリアを拡大し、就任後10年で50億円も売上を伸ばしたすごい経営者でした。
外食産業が飽和状況にある昨今、ここまで成功を収められたことは凄いことだと思います。
「客様の美味しい笑顔」を継続させるために、岡本氏率いる「まい泉」は今後どのような事業展開をされていくのか楽しみですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました♪
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