手代木功(塩野義製薬)の学歴や経歴は?48歳から社長を務め年収は1億6000万円以上で息子達も優秀?!


2019年1月24日放送の『カンブリア宮殿』に、インフルエンザ新薬を開発した塩野義製薬の手代木功社長が出演されます。

塩野義製薬は業界大手が注力しなかった感染症分野に力を注ぎ「鳴かず飛ばず」と言われた企業でしたが手代木社長が劇的にそれを復活させました。

いつしかそれは「手代木マジック」と呼ばれ、手代木社長の経営手腕が注目されるようになりました。

そんな手代木功社長とはどういう方なのでしょうか。

学歴や経歴、ご家族から年収について調べてみました。

Sponsored Link

手代木功氏のプロフィール

名前:手代木功(てしろぎ・いさお)

生年月日:1959年12月12日(2019年1月時点:59歳)

出身:宮城県

高校:宮城県立仙台第一高等学校

大学:東京大学薬学部(2000年博士課程修了)

職業:塩野義製薬株式会社 代表取締役社長

手代木氏は父親の仕事の関係で幼稚園時代に2回、小学校時代は3回も転校しないといけない、転勤族だったそうです。

ですが転校するも友達作りにはあまり苦労はせず、なんと転校して3日後に学級委員に選ばれたこともあるほどだったそうです。

簡単に新しい環境に順応できる人柄個性だったんですね。

 

手代木氏の母親曰く、「目立ちたがり屋のお調子者」という少年だったそうです。

そしてどうすれば楽しく遊べるかばかり考えており、勉強は全くといっていいほどしなかったそうです。

プロフィールを拝見すると、博士課程まで進学された方とは思いもつかない幼少時代ですよね。笑

 

そこで母親が手代木氏のことを案じ、ある日学校を休ませ小学校6年生の時に付属中学を受験させました。

当時の手代木氏は勉強をあまりせずとも合格しますが、入ってからショックを受け、その後勉学に励むようになります。

小学校の時同様に全く勉強せずに試験を受けたら50点という教科もあり、成績は学年の中の中。

そこで

「勉強しなきゃだめなんだ」

と、気付かされたといいます。

そして母親は、

「できないのなら、できるようになりなさい。やり方は自分で考えなさい」

という方針で、手代木氏を育てたようです。

 

母親は将来に関して「免許(国家資格)を取って食べていける仕事に」と願っていたようですが、手代木氏ご自身は他人の献血を見るだけでも貧血を起こすくらい血を見ることが大の苦手なので医者になることは諦め、ならば薬学部!と薬学部を志されます。

 

高校はプロフィールの通り、宮城県立仙台第一高等学校に進学されます。

この学校は宮城県下トップクラスの高校です。

2018年の偏差値を調べてみたら、なんと69もあり、宮城県内では2位の進学校でした。

全然勉強をしなかった小学生が、県でもトップクラスの高校に進学してしまうのですから相当努力して勉強されたんでしょうね。

そして「負けないぞ!頑張るぞ!」という心がないと出来ないので恐らく手代木氏は負けず嫌いの性格なんでしょうね。笑

 

手代木氏は宮城県下トップクラスの高校を卒業し、東京大学理科二類へと進学されます。

学生時代は朝から晩までマージャンをし、同じ東大理IIの5人組で誰かがバイトで抜けても出来るような体制にしていた程のようです。

 

IKKOさんではありませんが、「どんだけ~!?」ですね。笑

 

そして行きつけの雀荘で受付を任されるほど入り浸り、当時の仲間とは今でも親交があるようです。

現在の奥様と出会えたのもこの仲間の紹介かららしいですよ♪

 

現在は塩野義製薬の社長を務める方にもこのような学生時代があったというのを知り、親しみを感じますね。

 

手代木氏、大学ではどうだったかと言うと、実験では1滴たらして2時間待つというような研究は苦手だったようで、研究職を追及するには忍耐力に欠けていたそうです。

その事を早くも悟り、研究職でご飯を食べていくことは失礼だと考えたため、就職先には営業職を募っていた塩野義製薬を志望し入社を決められたそうです。

 

薬学部なら研究職と誰もが思うと思いますが、手代木氏の母親が「やり方は自分で考えなさい」と促し育ててきた成果もあり、恐らく手代木氏は自分自身のことをよく知り、客観的に見ることもでき、自分が進むべき道が良く理解出来ていたんでしょうね。

 

手代木功氏の経歴

手代木氏の経歴は華やかで出世街道まっしぐらです。

  • 1982年4月:塩野義製薬株式会社入社
  • 1998年10月:秘書室長
  • 1999年1月:秘書室長 兼 経営企画部長
  • 2000年3月:東京大学薬学部博士課程終了
  • 2002年6月:取締役に就任
  • 2002年10月:取締役 経営企画部長
  • 2004年4月:取締役 常務執行役員 医薬研究開発本部長
  • 2006年4月:取締役 専務執行役員 医薬研究開発本部長
  • 2007年4月:取締役 専務執行役員
  • 2008年4月:塩野義製薬 社長(現任)
  • 2011年5月:日本製薬工業協力会 会長
  • 2018年5月:日本製薬団体連合会 会長(現任)

手代木氏は48歳という若さで2008年4月に社長に就任されています。

東京大学卒という学力もそうですが、やはり手代木氏の実力も凄かったんでしょうね。

 

また、手代木氏は入社まもない頃から常務のようなはるか上の職位の方からの指示に対して、なかなか新入社員は食い下がることは出来ませんが、手代木氏はそれをしていた、出来ていたそうです。

信念というか、自分の思いはきちんと伝え、納得すればすぐ行動に移す事ができるというところが素晴らしい経営者と言われている手代木氏に繋がるのではないでしょうか。

Sponsored Link

手代木功氏の経営手腕

手代木氏はあるインタビューで、下記のように語っています。

「草木纔零落、便露萠穎於根柢」(草木纔かに零落すれば、便ち萠穎を根柢に露わす)――草や木の葉が落ちたかと思うと、すぐに根元から次の芽が出始めるとの意味で、中国・明の『菜根譚』にある言葉だ。

人間も、厳しい逆風下にあっても、それは新しい上昇機運の始まりにつながる、と説く。

参照:https://blogos.com/article/193419/ 

これが手代木氏の経営方針・理念なのかもしれませんね。

 

このような考えや信念があったから、聖域で不透明とされていた研究開発の領域に、違う畑出身の営業や経理・財務出身の人間を交えて会議を行い、経営の観点を取り組むように粘り強く会社内で働きかけたようです。

結果、研究者達は相手の話を聴き、冷静に議論を重ね、新しい芽・動きが出てくるようになっていったそうです。

これが手代木流というやつではないでしょうか。

 

このような手腕で社内をまとめ、他社が比較的手薄だった感染症、代謝性疾患(メタボリックシンドローム)、疼痛に力と時間を注ぎ、成功へと導きます。

 

そして手代木氏の経営手腕は業界の枠を超えて注目を集め、経済誌「フォーブスジャパン」が選ぶ「CEOランキング2016」では7位に選ばれます。

それほど手代木氏の経営手腕が評価されているということですよね。

 

手代木功氏の年収は?

塩野義製薬という大手の社長の年収はやはり気になりますよね!

2015年3月期~2018年3月期に手代木氏が貰った報酬は下記の通りです。

2015年3月期:1億2300万円

2016年3月期:1億4900万円

2017年3月期:1億6200万円

2018年3月期:1億6100万円

塩野義製薬さんは製薬業界の中では「中の上」あたりにあるそうですが、1億6000万円以上の年収はすごいですね。

 

手代木功氏の奥さんと息子さんについて

手代木氏は前述の通り、学生時代の仲間の紹介で奥さんと出会われています。

そしてお子さんは息子さんが2人いらっしゃるようです。

ネット上でも「手代木功 息子」というキーワードが出てきており、調べてみたのですが、やはり一般人なのでそれ以上の情報はありませんでした。

従って息子さんの名前や年齢、出身大学等についても情報は残念ながら見当たりませんでしたが、塩野義製薬の本社が関西にありそこに住まわれていたことがあることからバリバリの関西弁を話されるようです。

また、手代木氏がアメリカへの赴任経験もあり家族と一緒に住んでいたこともあるので、お子さん達は英語もペラペラかもしれませんね。

いずれにせよ、手代木氏のDNAをしっかり受け継いでいるでしょうからかなり優秀なのではないでしょうか。

 

まとめ

いかがでしたか?

塩野義製薬で代表取締役社長を務められている手代木功氏についてまとめてみました。

幼い頃はお調子者で小学生時代は勉強を全くしなかったにも関わらず、勉強の必要性や悔しさを感じ努力されて東大に進学され、現在は社長を務められています。

今は立派な方でもそのような頑張った姿勢や失敗もあったということを知ると、一気に親しみを感じますよね。

そして閉鎖的だった製薬業界の中では面白い経営手腕を展開されており、グローバル化されたこれからには必要な手腕なのではないかなと感じました。

 

今後は塩野義製薬をどのように牽引していき、どのようは新薬を開発していかれるのか楽しみですね。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました♪

Sponsored Link

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です