NHK「みんなの筋肉体操」にアシスタントとして出演以来、注目を集めているイケメン庭師の村雨辰剛さんですが、もともとはスウェーデン出身の方です。
スウェーデンでの本名、そしてどうして「村雨辰剛」を名乗ったのか、その由来についてまとめてみました。
また、現在は日本国籍を取得されていますが、いつ日本へ帰化し、帰化理由も調べてみました。
村雨辰剛さんのプロフィール
日本名:村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)
本名:ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebasitan Bjӧrk)
出身地:スウェーデン・南部のマルメ近くのエルケルユンガという町
生年月日:1988年7月25日(30歳)
身長:182cm (サイズ:B.101/W.78/H.96)
特技:トライリンガル(スウェーデン語・日本語・英語)造園技術
趣味:筋トレ・盆栽
本名と日本名を見ると何も関係性はありませんね。
当て字という線は皆無です。
それでは日本名はどうやって付けられたのでしょうか?
日本名の苗字「村雨」というのは庭師の親方の父親の苗字のようです。
そして「作家みたいでかっこいい苗字だから採用!」という理由から苗字を決められたようです。確かにカッコいい苗字です!
庭師の親方というのは愛知県西尾市の「加藤造園」の親方ですね。
こちらの造園には村雨さんが23歳の時に入り、師事されています。
親方元気で何より。
The Master and the Apprentice. pic.twitter.com/36y5KT7Qge— 村雨 辰剛@NHK 「みんなで筋肉体操」 (@MurasameTatsu) 2018年2月26日
こちらが親方との画像になります。
さて、名前の「辰剛」ですが、「辰」は村雨辰剛さんが辰年だったから採用されたようです。
そして「剛」は庭師の親方の名前から一文字貰って付けたとのことです。
さすが「徒弟制度」に憧れて庭師を目指された村雨さん、「徒弟制度」をうまく表現している行動です。
そしておそらく親方さんと村雨さんの間には日本の「徒弟制度」特有の強い絆があり親方さんの名前の一文字を貰ったのですね。
名前の由来から村雨さんの日本文化に対する愛着を感じます。
村雨さんが何故日本に来て庭師になったかをまとめた記事はこちらをご覧ください!

村雨辰剛さんが日本へ帰化した理由
村雨さんはスウェーデン国籍を放棄してまで何故日本へ帰化したのでしょうか?
EU加盟国のスウェーデンでしたらEU域内移動・移住の自由があるのでメリットは大きいと思うのですが・・・。
幼い頃から海外に興味を持っていた村雨さんは、思春期になるにつれアジア史、その中でも独自の文化を構築してきた日本に惹かれ16歳のときに初来日し、3ヶ月間日本でホームステイを経験します。
そして高校卒業後、大学には進学せず18歳の時に再来日し、日本で仕事を見つけます。
村雨さんが23歳のときには「徒弟制度」に憧れていたため庭師という職業を選びます。
親方に師事するにつれ、「日本に住み続けるなら日本人として生きないと納得できない」と思ったそうです。
また、「選挙で投票して参加して自分の暮らす社会に影響を与えられる一人の人間にならないと日本にずっと住んでいきます。と宣言できない」と思われたそうです。
日本人の間でも投票率が年々低下していっており、選挙や政治に対する関心が薄まってきている昨今、村雨さんの社会に対する意識や責任は素晴らしいですね。
日本へのこだわりと責任感から村雨さん26歳の時に帰化をし「日本人」になります。
日本へのこだわりや責任感といった理由を挙げられていますが、一番の理由は来日してからずっと日本が好きということみたいですね。
日本へ帰化するにあたり、スウェーデンにいる父親に相談した際には「仮に戦争が起こったら日本のために戦って死ねるだけの覚悟があるのか?」と問われたそうです。
生まれた国の国籍を放棄する訳ですから大きな決断ですし、葛藤もあると思います。
そして親御さんからしたら、最悪の状況を想定して我が子に伝え、考え直すように言うのではないでしょうか。
「戦争」は想像しづらかったようですが、最終的に村雨さんの覚悟や考えは覆らず、帰化という選択をした理由や気持ちを伝え、許してもらったようです。
まとめ
村雨さんの外見からは想像できない日本名と国籍ですが、「村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)」という日本名を選んだ由来、そして日本国籍を選択した背景を知ると、村雨さんの心は日本人以上に日本人なんだなと感じます。
日本生まれで日本育ちの日本人でもここまで日本の伝統文化を大切に思っている人はなかなかいないのではないでしょうか。
純粋に日本を大切に思っているからこそ出来た名前と国籍の選択なのでしょうね。
最後までお読み頂き感謝します♪
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