1日12,000本の列車で年間60億人を運ぶ鉄道会社とまで成長したJR東日本。
そんな巨大企業のトップを冨田哲郎氏は去年まで務められていました。
現在はJR東日本の会長且つ日本経済団体連合会副会長も務められているすごい方です。
大企業の社長・会長、経団連副会長も務めている冨田哲郎氏のプロフィール、経歴、家族、出身高校・大学や年収、気になりますよね?
そしてどのようにJRに貢献したのか、調べてみました!
冨田哲郎氏のプロフィールと家族

出典:JR東日本HP
名前:冨田哲郎(とみた・てつろう)
生年月日:1951年10月10日(現在67歳)
出身地:東京都(大田区・蒲田)
出身高校:筑波大学付属駒場高校
出身大学:東京大学法学部
職業:JR東日本(東日本旅客鉄道)取締役会長兼日本経済団体連合会副会長
家族:妻と長男・長女
趣味:ドライブ
座右の銘:「くじけずおごらず」
東京都出身の方で育ちも仕事もずっと東京にいらっしゃるように見受けられますが、国鉄時代には四国高松、九州佐賀県の方に赴任もされていたそうです。
それにしても筑波大学附属駒場高校で東京大学法学部という学歴は凄いです!
偏差値を調べてみましたが、筑波大学附属駒場高校(男子校)は偏差値78と、都内では開成高等学校やお茶の水女子大学付属高校等と並び1位です。
東京大学法学部は偏差値70です。
かなり優秀なのが伺えます。
そして趣味として挙げているドライブは、「鉄道にとってはライバルだが良さを知ることも重要」と週末には長時間運転することもあるそうです。
自分本位の趣味ではなく、仕事本位の趣味なのですね。
どれほどまでに鉄道、JR東日本のことを考えていらっしゃったのかと考えると、生粋の仕事人だったのですね。
ご家族に関しては芸能人ではないので詳細な情報は見つかりませんでしたが、ご結婚されており、子供は長男と長女の二人に恵まれているようです。
そして今はお爺ちゃんとなっていてもおかしくないご年齢ですよね。
お孫さんもいらっしゃるのではないでしょうか。
冨田哲郎氏の経歴
1951年(昭和26年) – 東京都生まれ。
1974年(昭和49年)4月 – 東京大学法学部を卒業後、日本国有鉄道に入社。
1987年(昭和62年)4月 – 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に入社。東京圏運行本部(現:東京支社ほか)総務部人事課長。
2000年(平成12年)6月 – 取締役・総合企画本部経営管理部長。
2003年(平成15年)6月 – 常務・総合企画本部副本部長。
2008年(平成20年)6月 – 副社長・事業創造本部長。
2009年(平成21年)6月 – 副社長・総合企画本部長。
2012年(平成24年)4月 – 社長。
2018年(平成30年)4月 – 会長。
2018年(平成30年)6月 – 日本経済団体連合会副会長
参照:Wikipedia
冨田さんが大学卒業と共に入社した日本国有鉄道とは国鉄とも知られており、日本の国有鉄道を運営していた事業体です。
1987年4月1日より国鉄から鉄道事業を引き継ぐかたちでJR東日本が誕生し、それと共に冨田さんも国鉄社員からJR東日本の社員へと移行します。
そして現在では世界最大の鉄道会社へと発展していった訳ですから、民営化後の経営陣の手腕ではないでしょうか。
その中に冨田氏も加わっている訳で、どのように貢献されたのか、気になりますよね。
JR東日本への貢献
当時の国鉄はかなりの赤字を抱えており、その影響から民営化へと舵が切られていきます。
そして前述の通り1987年4月にはJR東日本が設立され、冨田さんを含め沢山の従業員が国鉄から後継の事業体へと移っていきました。
それと同時に国鉄を後にすることを余儀なくされた方々も多数いたと思います。
そんな赤字企業から現在のJR東日本という大企業へと成長させた背景には冨田氏はどんなことをして貢献されたのでしょうか?
JR東日本とは:
社名:東日本旅客鉄道株式会社(East Japan Railway Company)
住所:東京都渋谷区代々木2-2-2 JR東日本本社ビル
設立:1987年4月1日
資本金:2000億円(2018年3月31日現在)
従業員数:単独‐47,575名/連結-73,193名(2018年3月末現在)
主な事業内容:旅客鉄道事業、貨物鉄道事業、旅客自動車運送事業他
JR東日本が、冨田氏が社長に就任した年、2012年に発表した「グループ経営構想V~限りなき前進~」で経営の方向性として定めたJR東日本グループのコンセプトワードは「地域に生きる。世界に伸びる。」です。
国鉄時代はその名の通り、国営でしたので事業内容は鉄道事業のみに特化していましたが、民営化後は「利用者のために」という新しい方向性を見つけ、商業施設を作ったり、生活サービスを提供する場とし、JRの駅は利用者にとっては大変便利な場所に代わっていきました。
例えば、駅ビルで有名なLUMINE(ルミネ)、駅弁等を提供するNRE(日本レストランエンタプライズ)のお弁当等もJR東日本の主要子会社です。
JR利用者にとっては欠かせないサービスの一つとなりつつあると言っても過言ではないのでしょうか。
冨田氏が当時社長を務められていた時に掲げたコンセプトワード「地域に生きる。世界に伸びる。」を忠実に実行して業績を伸ばしてきたと言えるのではないでしょうか。
現に今は鉄道事業以外の売上は9000億円にもなるのでこのコンセプト且つそれに沿った事業の展開だけ考えてもJR東日本の今に貢献されていると思います。
そして冨田氏の性格は柔和で物腰が柔らかく、面倒見が良いそうです。
会議では前社長・清野智氏に怒られた社員のフォロー役を担うこともあり、武闘派が多い国鉄出身者の中では異質な存在だったようです。
そんな冨田氏の性格に惹かれ、頑張ろうという社員も多かったのではないでしょうか。
冨田氏の社長としても器と彼の掲げたコンセプトを元に社員が一丸となりJR東日本の功績に貢献してきたと言えると思います。
冨田氏の年収
そんな冨田氏の年収はいくら位なのか、気になります。
年収については役職を持っている社員は役員報酬がありますが、給料についてはその年収が公表されており、2018年3月末時点での平均年間給与は714万円です。
従業員の平均年齢は40,1歳で、平均勤続年数は16.9年となっています。
そして2017年のJR東日本役員報酬は4,047万円だったようです。
JR東日本第3代社長(2000~2006年)の大塚陸毅氏が会長在任中の役員報酬は2013年3月決算の資料で1億8,100万円だったので、冨田氏も同等額位貰っているのではないでしょうか。
鉄道会社全ての役員報酬ではJR東海が第1位で、JR東日本は第4位と以外な結果になっております。
これは日本が世界に誇る新幹線を動かしているだけにその給料も破格ということなのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
冨田氏は旧国鉄時代に入社し、13年程国鉄で働かれた後、後継のJR東日本に移られ社長まで務められ、現在はJR東日本の会長兼日本経済団体連合会副会長職に就かれているすごい方でした。
学歴からもかなりの秀才であることが分かりますが、JR東日本への貢献も素晴らしいものでした。
それまでの鉄道事業のみではなく、民営化されてからは「利用者視点」を持ち発想の転換を事業内容に取り入れJR東日本を世界最大の鉄道会社へと導かれた方でした。
明確な先見性と冨田氏の温厚な性格で部下達への配慮を忘れない人格があったからこそ、成功へと導けたと言えるのではないでしょうか。
最後までお読み頂きありがとうございます♫
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