2019年1月31日放送の『カンブリア宮殿』に石油ファンヒーターで業界トップを走り続けてきたダイニチ工業の吉井久夫社長が出演されます。
「ダイニチ工業」は企業の不祥事や業績悪化が報じられる日本の「ものづくり」産業ですが、激動の業界に身を置きながらも10年以上も石油ファンヒーターで業界トップを走り続けています。
しかも地元・新潟での生産を貫き、非正規雇用が多い製造業界の中でも高い正社員率を維持し、ヒットを連発しているのです。
そんな「ダイニチ工業」を引っ張っているのは、吉井久夫代表取締役社長。
吉井社長とはどのような方なのでしょうか。
学歴・経歴、年収、そしてなぜ「ダイニチ工業」がホワイト企業と言われているのか調べてみました。
目次/Contents
吉井久夫氏のプロフィール

出典:ダイニチ工業HP
名前:吉井久夫(よしい・ひさお)
生年月日:1947年1月15日(2019年1月現在:72歳)
出身地:大阪府布施市(現・東大阪市)
出身高校:新潟県立三条高校
出身大学:芝浦工業大学
吉井氏は今年で72歳を迎えられたわけですが、72歳には到底見えないくらい若く見えます。
お仕事も含め、人生楽しまれていらっしゃるから若く見えるのかもしれませんね。
吉井氏は大阪で生まれますが、幼少期は鳥取県で過ごし、中学2年生の時から両親の故郷である新潟県三条市で暮らすようになったそうです。
当時、新潟の方言を話せなかったことから、極力標準語で話していたため、級友とは隔たりが出来ていました。
その寂しさを紛らわすように勉強を頑張り、テストは全教科でほぼ満点だったとのことなので、かなり勉強は頑張られていたことが分りますね。
吉井久夫氏の学歴
吉井氏ですがプロフィールにある通り、高校は新潟県立三条高校へと進学されます。
好奇心から三条高校の偏差値を調べてみました。
2018年のデータによりますと、偏差値は63で新潟県内では11位、新潟県内公立では10位の共学の進学校でした。
そして大学は前述の通り芝浦工業大学へと進学されます。
芝浦工業大学は東京都にある私立大学で、偏差値は学部によりけりですが50~60の間です。
吉井氏のご実家は電気屋さんを営んでいらっしゃったそうで、大学卒業と同時に1969年4月に吉井電気店に就職されます。
やはり新潟県にある実家の家業を継ぐということが念頭にあったため、工学部がある芝浦工業大学へ進まれたのではないでしょうか。
吉井氏、家族思いの方なのではないでしょうか。
吉井久夫氏の経歴
実家の家業を継ぐために吉井電気店に入社しますが、吉井氏が25歳の時に転職を決めます。
「暖房機器製造会社が電機分野に詳しい人を探している」
と、知人に声を掛けられ興味を持った吉井氏は1973年に25歳でダイニチ工業に転職しました。
当時のダイニチ工業は80人にも満たない会社だったそうで、資材調達から電気回路設計など社員達は何でもこなしていたそうです。
そしてその後の吉井氏の経歴は下記の通りです。
1973年1月:ダイニチ工業に入社
1997年4月:資材課長に昇進
1983年3月:取締役就任
1987年2月:常務取締役就任
1992年2月:専務取締役就任
1998年10月:代表取締役専務就任
1999年6月:社長就任
吉井氏が52歳の時に「ダイニチ工業」の社長に就任し、かれこれ20年近く社長として「ダイニチ工業」を牽引されています。
「ダイニチ工業」の主力商品は前述の通り石油ファンヒーターで10年以上も業界トップとして走り続けてきておりますが、2003年には加湿器の製造販売を開始し、現在ハイブリッド式加湿器(送風による気化式とヒーターのハイブリッド)で、「赤ちゃんが寝ていても使える加湿器」がヒットし、こちらでも国内トップとなっています。
その他に下記のような商品も手掛けています:
- 焙煎機能付きコーヒーメーカー
- コーヒー豆焙煎機
- スモークマシン
- 自動給餌機(用途:鯉など)
- 光合成促進機
などなど。
ヒーターや加湿器同様、同じ製造品ですがヒーターからは結構かけ離れていて、なかなか面白い商品もありますよね。
吉井氏が社長になり、様々な商品が生まれやすい職場環境になったのでしょうか。
「ダイニチ工業」について
さて、ここで簡単にダイニチ工業についてご紹介します。
「ダイニチ工業」の会社プロフィール
会社名:ダイニチ工業株式会社
種類:株式会社
上場証券取引所:東京証券取引所 市場第1部(5951)
本社所在地:新潟県新潟市南区北田中780-6
営業所:東京、大阪、仙台、新潟、宇都宮、名古屋、広島、福岡
設立:1964年4月1日
業種:金属製品
資本金:40億5881万円
発行済株式総数:19,058,587株
売上高:182億円(2017年3月期)
従業員数:504名(2018年4月1日現在)
決算期:3月31日
主要子会社:なし
1957年(昭和32年)にダイニチ工業の創業者・佐々木文雄会長が新潟三条市に東陽技研工業株式会社(ダイニチ工業の前身)を設立します。
主に家庭用石油コンロなどを生産していました。
しかし1964年1月に東陽技研工業株式会社は経営不振のため整理され、同年4月に現在のダイニチ工業株式会社と名前を変更し、設立されます。
「ダイニチ工業」の社名について
「ダイニチ工業」という社名についてですが、
現会長が創業時に社名について悩んでいたところ、夢の中に大日如来が現れ、そこで世の中のためになる仕事をするようにというお告げを受けたこと、また、戦争で疲弊していた当時の日本を再び大きな日本へと甦らせたいということから、「大日」より「ダイニチ工業」と命名した。
と言われています。
名前だけ言われたら「はい、そうですか。」で終わりそうですが、命名について説明を聞くと社会貢献のためという感じで親近感が沸いてくるネーミングですね♪
そして日本の冬を暖かくすることに大いに貢献されていますよね!
「ダイニチ工業」の生産工程について
さて、「ダイニチ工業」の主要商品はファンヒーターですよね?!
それって寒い時期にしか使用しないので売上も寒い時期に集中し、「その他の季節の売上ってどうなっているの?」と、疑問に思われる方も多いと思います。
「ダイニチ工業」は、1月~9月まで同じペースで生産する「平準化生産」を行っています。
そして、販売時期の10月~12月の3ヶ月で、市場の動向を情報収集して12月末に在庫を出来るだけゼロに調整する「ハイドーゾ(はいどうぞ)生産方式」を行っているそうです。
ネーミングがウケますね!笑
でも売れる自信があるからこそ出来る生産計画なのでしょう。
「ダイニチ工業」はホワイト企業?!
昨今何かと「ブラック企業」について話題になりますが、冒頭でも記述した通り「ダイニチ工業」は504人いる社員のほぼ全員が正社員で非正規社員は片手で数えられる程度しかおらず、従業員としたら働きやすいホワイト企業らしいのです。
その例が下記の通りです。
ミスを申告したら表彰
なんでも、「ミスを申告したら、表彰される。」という制度があるようです。
通常だったら、ミスをしたら仕方なく報告しますが、叱られるのがオチ。
下手したら減給んてこともあるのではないでしょうか。
ですがミスをしてしまったら正直に自己申告することで表彰してもらえるとなると、万が一ミスを犯してしまってもそれを隠したりすることも無くなり、早い段階で会社として対処が出来るのでWin-Winになるのかもしれませんね!
従業員としてはビクビクして仕事をするのではなく伸び伸び仕事が出来ますし、上下のコミュニケーションがしっかりしていて生産性も上がりそうですよね。
生産ラインの稼働時間がきっちり管理されている
通常の生産ラインは8:30~17:30までの稼動が基本ですが、「ダイニチ工業」では9:00~16:00までしか稼動しない「業務用石油ストーブライン」を作っていて、残業はなるべく無い環境、そして時短勤務も可能な社内環境となっているようです。
関連して、育児中の短期間勤務に利用しやすい環境と、長期の育児休暇が取りやすいシステムも整備されているそうなのです。
従って、女性社員は出産しても復帰しやすい仕組みがあり、女性社員の育児取得率は100%と、すごい数値です。
女性の社会進出が政治家によっても促されている現代日本ですが、現実はまだまだ企業側・社会の理解やそれを支えるシステムが間に合っていません。
そんな現状の前を進む「ダイニチ工業」は画期的です!
「働くママ」の見方であり、働く女性としたらとても助かり嬉しい会社ですね。
個人的なイメージですが、「製造業界」は男性社会がメインと思っていましたが、「ダイニチ工業」に関しては違うようですね。
やはりこれは吉井社長の貢献が大きいのではないでしょうか。
社内外の交流の場として「大運動会」が開催される
「ダイニチ工業」では1年に1度大運動会が開催されるそうです。
本社や工場スタッフをはじめ、全国の営業所員や協力工場の従業員が参加する大規模な運動会で、なんと参加人数は約1000人にのぼるとか・・・。
もともとは社員の体力測定のために始まったイベントだったそうですが、現在は社員や関係会社の交流の場となっていて、社内外の一体感を高めるのにとても役立っているそうです。
大運動会当日に約1000人の参加者を4チームに分けて日頃接する機会の少ない他部署や協力工場の方ともチームを組み、一致団結して競技に臨みます。
単純計算で1チーム250人となるので、かなり大きなチームですね。
そんな中色々な部署や初めて会う方も多々いるでしょうから、顔見知りになるにはもってこいの場ですね!
そして競技種目は下記の通りです:
- 「女子50m走、男子100m走」
- 「イカ足リレー」
- 「玉入れ」
- 「大玉送り」
- 「対抗リレー」
- 「大相撲」
などなど、他にも沢山の競技があるようです。
そしてこちらが「大運動会」の画像になります。

出典:ダイニチ工業

出典:LOCALPRESS NIIGATA

出典:ダイニチ工業
そんな中でも1つこだわりがあり、「100m走だけは全員参加」らしいです。
1000人の100m走、、、何か考えただけでも凄いイベントですし、ちょっと怖そうですね。( ̄Д ̄;;
昨今、「飲み会」や「社員旅行」といった社内イベントがどんどん少なくなってきており人間関係が希薄になってコミュニケーション不足が叫ばれています。
ですがこんな「大運動会」があったら社内や協力会社とのコミュニケーションは高まり、結束力も強くなり、より良い仕事・より良い製品が生み出せそうな会社になりそうですよね!
そして家族連れOKでしょうから、子供も楽しめそうな素敵なイベントですね!
吉井久夫氏の年収
さて、気になる吉井久夫社長の年収ですが、いくらくらいなのでしょうか。
「ダイニチ工業」では、
9名の取締役報酬が1億7200万円
参照:https://www.nikkei.com/markets/ir/irftp/data/tdnr/tdnetg3/20170703/ajsmj1/140120170619410029.pdf
とありました。
2017年7月に公開されたコーポレートガバナンスのレポートからなので、現在2019年ですが数値的にはそう遠くないと思います。
さて、上記金額を単純計算で9で割ると、1人頭1911万円の計算になります。
吉井氏は20年も代表取締役社長を務められているのに加え、ヒット商品も世間に出してきた経営者としての実績もあり、必然的にこれよりはずっと高い金額の役員報酬を貰っていると思います。
従って役員報酬は妥当なところ3000~4000万円かなと推測します。
その他に、「ダイニチ工業」の株主通信を拝見したところ、大株主(上位10位)に吉井久夫氏の名前がありました。
(参照:https://www.dainichi-net.co.jp/wp-content/uploads/2018/11/56th_dainichi_interimreport.pdf )
それによると吉井氏は「ダイニチ工業」の株を57万株持っていることが記されていました。
そして1株あたりの配当金が平成30年3月期で22円だったので、単純計算すると1254万円の配当金があったということになります。
従って役員報酬と配当金を合わせると5000万円近く、もしくは5000万円以上の収入があるのではないでしょうか?!
また、もう1つ気になったのが、大株主(上位10位)に吉井久夫氏の名前の下に「吉井久美子」とありました。
奥さんの名前でしょうか。
もしそうでしたら「吉井久美子」さんは55万6000株持っているようなので、1223万2000円の配当金があったことになります。
その場合、夫婦揃って2400万円以上の配当金があったことになります。
大株主ですね~。
吉井氏の株の配当金だけでも羨ましい限りです!(;´▽`A“
まとめ
いかがでしたか?
「ダイニチ工業」の吉井久夫社長についてまとめてみました。
吉井氏のご実家の電気店からダイニチ工業に転職され、当初は資材調達から電気回路設計など何でもこなし、今の「ダイニチ工業」を築き上げてきた立役者だったことが分りました。
1999年に社長に就任され、20年間「ダイニチ工業」のトップに君臨していますが、会社の経営は好調で従業員としてはとても働きやすい素敵な会社を構築されていることが分りました。
まさに「ホワイト企業」と称えてもよい企業で、素敵な経営者だということが垣間見れました。
資本主義の合理主義にのまれず、このような社員の事を社員目線で考えてくれる企業が増えていくといいですね。
温かい会社だなと思いました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました♪
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