昭和22年創業で東京上野のアメヤ横丁に本店を構える『二木の菓子』は老舗の菓子専門店です。
お菓子は単価が安く利益率が低いため、専門店は成功できないと言われてきました。
現在のお菓子の業界は1万円のお菓子に対し、儲けがたったの100円と言われる薄利多売のビジネスです。
そんな厳しい業界にも関わらず、『二木の菓子』は独自の商法で確実に成長し続け、現在首都圏に17店舗、そしてタイにもお店をオープンさせています。
なんでもその戦略は、地方に埋もれる美味しい菓子を発掘するという手法にあるようです。
そんな快進撃を続けている『二木の菓子』の社長、二木正人氏とはどういう方なのでしょうか。
二木氏の学歴・経歴、年収、経営手腕とご家族について調べてみました。
二木正人のプロフィールと学歴
名前:二木正人(ふたつぎ・まさと)
生年月日:1950年4月17日
出身地:東京都板橋区
出身高校:立教高等学校(現:立教新座高等学校)
出身大学:立教大学
職業:株式会社二木 代表者、実業家
二木氏は東京都板橋区出身で、地元の板橋区立志村第三小学校に通われていましたが、中学は立教中学校(現・立教池袋中学校)を受験し、見事合格されます。
立教はエスカレーター式でもあるので、二木氏は高校と大学も立教でした。
正真正銘の立教ボーイですね!
興味本位で立教池袋中学校の現在の偏差値を調べてみたら、64~65位でした。
結構偏差値高いですよね。
子供の頃から頭も良かったのでしょうね!
そして親御さんも中学受験をさせたということはそれなりに教育熱心だったのではないでしょうか。
ちなみに、立教中学を受験した理由と言うのが、当時ジャイアンツの主砲、長嶋茂雄に憧れていたためだったそうです。
その憧れも胸に秘め、中学、高校は野球部に入り野球に打ち込み、大学からはアメフト部に所属されました。
この大学時代にアメフト部の先輩方より受けた厳しい練習や指導は、のちに社会人になってからも役に立ち、へこたれず誰にも負けないという己の自信に繋がったようです。
二木正人の経歴
二木氏は大学を卒業した後、大阪の菓子の卸問屋に修業に出られます。
なぜなら二木氏の父親が『二木の菓子』を創業し家業が菓子問屋だったからです。
この当時、二木氏は飛び込み営業で同期の中では上位の営業成績を収めていたということなので、若い頃から実力があったのが伺えますね。
そして中学時代からスポーツもやっていた経験上、好青年のイメージも板につき、しゃべり方もはきはきしており営業には向いていたのではないかなと思います。
そして2年間の修業を終え、1975年に父親の会社『株式会社二木』に入社します。
そして1997年には社長に就任し、その2年後の1999年には関連子会社の「二木ゴルフ」の社長にも就任します。
「お菓子」と「ゴルフ」の会社の社長を同時に務められるとは、恐れ多いですね・・・。(; ̄ー ̄A アセアセ・・・
ただ、現在「二木ゴルフ」は二木一成さんという方が社長を務められており、恐らく二木氏の息子さんではないかと推測します。

出典:二木ゴルフ
二木正人氏は1975年に立教大学時代の同級生の方とご結婚されているので二木一成さんくらいのお子さんがいてもおかしくないですよね。
もしお子様でなくても、同じ苗字なので甥っ子さんとか親戚筋の方ではないでしょうか。
「株式会社二木」のプロフィール
「二木の菓子」、正式名称「株式会社二木」は1947年(昭和22年)に二木正人氏の父・二木源治氏が板橋に「二木食品工業所」を設立したことから始まりました。
名称:株式会社二木
略称:二木の菓子
本社所在地:〒174-0053 東京都板橋区清水町66-3
設立:1947年5月
業種:小売業
事業内容:菓子・食品問屋卸小売業
資本金:1200万円
従業員数:98名
主要子会社:株式会社二木ゴルフ、東洋茶郎株式会社
この「二木食品工業所」で菓子の製造・行商を始め、『おこし』や『バクダンあられ』、『かりん糖』を作り、当時区画も決まっていなかったアメ横に持ち込んで販売したそうです。
ちなみに上記駄菓子の種類が分からないかたのために、こちらが『おこし』の画像です。

出典:Wikipedia
こちらが『バクダンあられ』の画像です。

出典:Amazon
そしてこちらが『かりん糖』の画像です。

出典:Wikipedia
ですが当時は大変な苦労もあったようです。
創業者の二木源治氏はアメ横では後発だったので、売り場を荒らされたり、暴力沙汰に巻き込まれたりといったトラブルが続発しました。
しかし、
という想いのもと、幾多の苦労を乗り越え、1949年にアメ横の一角にみかん箱一つほどのスペースを確保する事ができ、そこから二木の歴史が始まります。
当時は戦後まもなく、食糧も不足しておりなかなか贅沢は出来ない時代でした。
そんな中、少しでも多くの人に甘いもので食の楽しみや喜びを届けたかったのではないかと察します。
大変素敵な心構えですよね!
1960年代から同一のCMソングによる独特なテレビコマーシャルで「二木の菓子」はその名を広めます。
初代林家三平の「二木」を連呼するCMが関東ローカルで話題となり、三平の死後も弟子の林家こん平、林家こぶ平、2代目林家三平ら一門がCMを引き継いでいます。
「二木の菓子」のCM、見たことがあるという方も多いのではないでしょうか。
そして1973年にゴルフ部門を設立しゴルフ用品に販売を乗り出すようになり、その6年後1979年に別法人化され、現在の主要子会社『株式会社二木ゴルフ』が設立します。
話を「二木の菓子」に戻しますが、高度成長期にはお菓子の消費量が年々増え、薄利多売で量を売ることで利益をつくることが出来ており、『二木=安売り』というイメージで長年お客様に愛されてきたそうです。
しかし、時代の変化と共にお菓子の消費量は減少し、安いだけでは売れない時代が到来しました。
そんな中、「お客様に求められる商品を追求する」という原点に改めて立ち返る努力をし、毎月の会議で日本全国からお菓子を集め一つ一つ試食をし、新たに売場に並べる商品を自分達で決め、実際に売れるか否かを自分達で検証するという作業を繰り返したそうです。
そうすることにより、お客様に本当に求められているものが少しずつ明らかになり、『二木=安売り』から『おいしいものを揃える二木』へとイメージを変えることに成功しました。
そして近年の大きな転機となったのが、東京スカイツリーの膝元にある、東京ソラマチです。
東京ソラマチは大きなショッピングセンターとなっており、実に沢山のお店が揃っていますよね。
そんな好立地だけあり、賃料もとても高いです。
そしてそのような場所で求められるのは、安いお菓子ではなく、少々高くてもおいしいと思われるお菓子なので、『二木の菓子』としては東京ソラマチへの出店は大きな挑戦でした。
その挑戦の中で、『とにかくおいしいものを作れ』という方針のもと、『ふたつ木』というブランドを開発し、この商品が大ヒットしました。
『ふたつ木』商品の開発時は、原価を度外視して開発にあたり、価格は高くてもとことんおいしいものを追求したかったため、焼き菓子のフィナンシェにしろ、最中にしろ、何度もアイディアを出し、味を確かめ、試作品を120種類以上作った中から満足いくものだけを商品として採用したそうです。

出典:GDO
そしてこれが吉と出て、二木もおいしいもので勝負が出来るという自信をつける出来事になったそうです。
美味しいものへの追求心、お客様へ美味しいものを提供したいというおもてなしの心など、そういったものが一つとなり「二木の菓子」を成功へと導いているのでしょうね。
社会へ貢献したいという誠意が成功への鍵なのかもしれませんね。
二木正人の年収は?
「二木の菓子」社長の二木正人氏の年収はどの位なのでしょうか。
前述の通り「二木の菓子」の資本金は1200万円で従業員は98名です。
ある情報筋にて資本金別の企業役員の平均年収が下記のようにまとめてありました。
資本金額 | 平均年収(円) |
資本金2,000万円未満 | 5,290,000 |
資本金2,000万円超 | 7,589,000 |
資本金5,000万円超1億円未満 | 10,574,000 |
となると、二木氏の年収は530万円位ということになりますが、これだと普通のサラリーマンの年収位ですよね。
ここで気をつけたいのは上記はあくまでも役員であり社長ではないことに注目する必要があると思います。
なので書きは職位別の相場になります。
職位 | 年間報酬の相場 |
会長 | 1,200万円~1,400万円 |
社長 | 1,700万円~2,000万円 |
専務 | 1,200万円~1,350万円 |
常務 | 1,100万円~1,200万円 |
取締役 | 900万円~1,100万円 |
監査役 | 280万円~340万円 |
上記を参考にすると、二木氏の年収は1,700~2,000万円といったところでしょうか。
あともう1点注目したいのは二木氏は「二木の菓子」の社長だけではなく、「二木ゴルフ」の取締役も兼任しています。
二木ゴルフの資本金は8000万円、従業員は744名、そして売上高は257億円(2007年12月期と少し古いですが)となります。
従って、この「二木ゴルフ」の取締役からの報酬も1000万円位発生するのではないかなと考えます。
なので二木氏の年収は併せて3000万円位かなと思います。
まとめ
いかがでしたか?
「二木の菓子」社長を務める二木正人氏のプロフィール、学歴・経歴、年収、そして「株式会社二木」についてまとめてみました。
「二木の菓子」は戦後間もなくして創業し、移り行く時代の中でその時代背景の中に適応しながら強く生き抜いてきた企業でした。
現在は老舗となりライバルも増えてビジネス的には大変な時代だとは思いますが、創業者である父・二木源治さんの志を忘れずに「美味しいものをお客様へ提供する」に徹し、美味しいお菓子を提供することで「二木の菓子」にまた一つ付加価値をつけたのではないでしょうか。
どんどん変わっていく時代の中でどのように「二木の菓子」も変化し時代に対応していくのか、経営手腕を拝見するのも楽しみですし、今度はどのような「ふたつ木」ブランドのお菓子を発表するのかも楽しみですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました♪
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