吉永小百合、元彼は渡哲也で旦那は15歳年上!子供を作らなかった理由が切ない。


国民的大女優吉永小百合さんは現在74歳です。

小学校6年生の時にデビューして以来、芸能活動62年間と長く、出演映画は100本を超える程。

 

そんな吉永小百合さん、プレイベートではなんと渡哲也さんとお付き合いなさっていましたが、破局後15歳年上の男性とご結婚されました。

 

渡哲也さんとの破局から一般人である岡田太郎さんとの結婚の馴れ初め、そしてなぜ子供を作らない決心をされたのかご紹介します。

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吉永小百合のプロフィールと経歴

出典:映画.com

芸名:吉永小百合(よしなが・さゆり)

本名:岡田小百合(おかだ・さゆり)

生年月日:1945年3月13日(2019年10月現在74歳)

出身地:東京都渋谷区

身長:155cm

血液型:O型

職業:女優、歌手、ナレーター

活動期間:1957年~

吉永小百合さんはご両親と3人姉妹で、次女として生まれました。

 

父親の吉永芳之さんは鹿児島県出身で学歴は東京大学法学部卒。

父・芳之さんは九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、知人らと映画のファン雑誌となる出版社「シネ・ロマンス社」を立ち上げました。

しかし売上は振るわず事業を撤退したため、吉永小百合さんご家族は貧しい生活を強いられ小学時代には借金取りが取り立てに来て、お米を買うお金もなかった程だったようです。

家計が大変苦しかったためそれを支えようと吉永小百合さんは新聞配達をすることをすることを提案しますが親に止められてしまったというエピソードがあります。

 

母親は和枝さんと言い、実家は東京都の山の手にある名家出身でした。

短歌結社誌「潮音」に所属していた歌人でもあり、ピアノの教師もしていました。

 

母親からは女優を目指すべく育てられ、小学校の学芸会での演技が好評で、1957年(小学校6年生)にラジオ東京でラジオドラマ『赤胴鈴之助』で声優デビューします。

この声優出演で手当がもらえ、家計を支えたそうです。

同年10月にテレビドラマ『赤胴鈴之助』のヒロインで女優デビューし、美少女として注目されます。

 

高校入学と同時に石原裕次郎さんなど銀幕スターで有名な日活映画に入り、1962年(17歳)で映画『キューポラのある街』のヒロイン役を演じると史上最年少でブルーリボン賞に輝き、その後多くの映画に出演して清純派女優の大スターへの階段を駆け上がっていきました。

 

 

吉永小百合さんは同時に歌手デビューも果たします。

橋幸夫さんとのデュエット『いつでも夢を』は30万枚の大ヒットを飛ばし、現在も歌い継がれる昭和歌謡の名曲になっています。

出典:アマゾン

 

女優として多忙だったため高校は中退しましたが、大学入学資格検定を受け高卒と同等以上の学力があると認められ、早稲田大学第二文学部入学し、きちんと4年間正規で通い1969年にはなんと次席で卒業します。

父親に似たのか、かなり優秀だったのが伺えますね。

 

 

『サユリスト』という吉永小百合さんの熱狂的なファンも生まれました。

 

タレントタモリさんもその1人で、吉永小百合さんを追って一浪の末に早稲田大学第二文学部に入学しているんです!

 

その他にも学食で吉永小百合さんが食べ残したものを食べようか迷った末に思いとどまったエピソードや、学食のおばさんにどうしたら吉永小百合さんに会えるのかリサーチしてもらったけど会えなかったといったエピソードが語られています。

 

そんなサユリストのタモリさん、『笑っていいとも』最終回ゲストに吉永小百合さんを読んで夢を叶えています。

 

もしかしたらタモリさんが芸能界に入ったのも吉永小百合さんを追っての行動かもしれませんね。笑

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吉永小百合の元カレは渡哲也!

1966年(昭和41年)に吉永小百合さんは映画『愛と死の記録』で渡哲也さんと初共演し、恋仲に発展します。

ちなみに吉永小百合さんにとっては初めての恋人でした。

出典:Yahoo!ブログ

出典:日活

お二人の恋愛は業界では知られており、渡哲也さんは仲間内では「うちのカミさん」公言するほどだったそうです。

 

しかし吉永小百合さんのご両親はモテ男と結婚したら苦労するという理由で結婚には反対しました。

渡哲也さんは酔って、

「何で俺のところに飛び込んできてくれないんだ」

と、電話してきたこともあったそうです。

 

結局ご両親を説得出来なかった吉永さゆりさんは、

「あなたとは結婚できません」
と伝え、交際2年で破局してしまったのです。

 

 

その後1971年に渡哲也さんが一般女性と結婚すると吉永小百合さんは後悔の念で号泣したと言われています。

 

そしてこれを機に、吉永小百合さんはご両親と不仲になりました。

 

 

当時の状況を考えると親の反対を振り切って結婚するのはなかなか難しかったのでしょうね。

しかもお母さんは名家出身ということなので余計世間の目も気にされたのかもしれません。

叶わなかった恋、ちょっと切ないですね。

 

 

渡哲也さんの簡単なプロフィールはこちらです。

出典:Twitter

名前:渡哲也(わたり・てつや)

本名:渡瀬道彦(わたせ・みちひこ)

生年月日:1941年12月28日(2019年10月現在77歳)

出身地:兵庫県淡路島

身長:180cm

職業:俳優、歌手、石原プロモーション相談取締役

活動期間:1964年~

事務所:石原プロモーション

 

 

吉永小百合の結婚相手は岡田太郎!

吉永小百合さんは1973年に28歳で今の旦那様、岡田太郎さんと結婚しました。

岡田さんは当時フジテレビのディレクターを務め、バツイチ15歳年上ということでかなり話題になったようです。

また、今は当たり前になっている年の差婚ですが、当時はかなり珍しかったようですよ。

出典:soma-kaeru.com

 

2人の出会い

当時、吉永小百合さんは映画デビューから13年経っていましたが働き詰めの毎日で東京と京都でドラマを掛け持ちして移動時間に休むという多忙な日々を送っていました。

忙しすぎてストレスもたまり心身ともに疲弊していたそうです。

ですが所属事務所で働く20人のスタッフのことを思うと、疲労困憊していても「休みたい」と言い出せず・・・。

 

するとストレスが原因で、女優の生命線でもある「声」が出にくくなり、「声を出しているつもりでもスースー音が抜ける感じ」になってしまうという病気を患ってしまいました。

 

そんな辛い時に支えてくれたのが、19歳の時から親交のあった15歳年上のフジテレビ社員の岡田太郎さんでした。

「休めないのなら、今できることを一生懸命にやれば、それは見てくれる人がきっと分かってくれるよ。」

と、吉永小百合さんに声をかけ、励ましたと言います。

 

これがキッカケで2人は交際関係に発展し、1973年に結婚しました。

 

前述の通り、吉永小百合さんは当時28歳

岡田太郎さんはバツイチの43歳でした。

 

この電撃結婚はファンのみならず世間に相当な衝撃を与えたようです。

出典:hachibachi

ものすごい報道陣の数ですよね?!

 

 

吉永小百合さんのご両親は15歳も年上の上にバツイチの岡田太郎さんとの結婚には大反対したそうです。

 

当時岡田太郎さんはご自身の経験からも「結婚は大変だよ」と消極的だった岡田さんとは対称に吉永さんは積極的だったと言います。

 

当時吉永小百合さんは父親が社長を務める所属事務所に唯一の所属タレントとして在籍しており、いつも一緒にくっつき娘を溺愛していました。

ですがご両親のことが苦痛で、両親から離れたいとも思っていたため結婚に踏み切ったようです。

結婚を機に所属事務所からも離れたそうです。

 

子供の時は良いとしても、大人になってまでも親が近くにいるとちょっと鬱陶しく感じると思います。

ある時期を境に子は親離れも必要ですし、親は子離れが必要な時がきますよね。

 

そして結婚後は

「完全に行き詰まっていた状態から自由になり本当の第一歩を始めることが出来た。」

「結婚していなければ、女優をやめていただろう。」

と振り返っています。

 

結婚後

吉永小百合さんは結婚後、1年間お仕事を休まれ充電されたようです。

 

それまで周囲の人が全て身の回りの世話をしてくれていましたが、結婚して初めて自分で銀行の預金の引き出し方を覚えたり、家事・料理をしたり、今までしたくても出来なかった普通の暮らしができ、それが新鮮で楽しかったと言っています。

 

ちなみにお料理は料理学校をしている親戚から教わって覚えたようですよ。

 

 

夫の岡田太郎さんはフジテレビの一社員から共同テレビの社長、会長、相談役まで出世された凄い方でした。

 

退職後はテレビ『おとこの台所』を見て、大好きなワインに合う料理を始めたそうです。

2014年夏、岡田太郎さんが84歳の時に思い肝臓の病気で厳しい溶体の時もあったようですが、今は無事に退院され元気にしているようです。

 

そしてこの病気をきっかけに吉永小百合さんは自宅をバリアフリーにしたそうで、現在岡田太郎さんは奥さんの手料理を食べるのが楽しみで、特にかつお出汁のお味噌汁は欠かせないのだとか。

 

なんだか夫婦円満なのが伝わってくるエピソードですね。

 

子供を作らなかった理由は?

吉永小百合さんと岡田太郎さんの間には子供はいません。

 

子供を作らなかった理由は色々とあるようですが、一番は吉永小百合さんと母・和枝さんとの確執にあるようです。

 

 

吉永小百合さんは親に溺愛されて育った分、自分の主張を尊重してもらえず、子供時代から結婚されるまで散々母親から価値観を押し付けられて育ってきました

 

このことは吉永さんご自身も、

「子供の頃、自分は両親からまともな教育を受けていない」

と語られています。

 

 

確かに吉永小百合さんの生い立ちを見ると、父親は事業に失敗し貧乏になったためラジオドラマに出演し家計を助けた経緯があります。

そして母親からは女優になるために育てられているのでまさに価値観の押し付けです。

 

渡哲也さんとの恋愛についてもご両親から反対され破局し大失恋されています・・・。

 

また、結婚翌年の1976年に母親は随筆集を出版し、娘を奪い去った岡田太郎さんへの怨嗟を綴っています。

 

今で言うアダルトチルドレンというところでしょうか。

 

親子なのにこのシチュエーションはかなりキツイものがあります。

 

 

吉永小百合さんの子供を持たないという決断はご自分の子供時代のルーツにあり、過干渉だった自分の母親のようにはなりたくなかったからなのでしょうね。

 

なんだか切ないですね。

 

 

 

まとめ

国民的大女優の吉永小百合さんの経歴から元カレと旦那様との馴れ合い、子供を作らなかった理由についてまとめてみました。

 

元カレが渡哲也さんだったというのはかなり驚きですが、当時世間は15歳年上のバツイチ男性であった岡田太郎さんと結婚された方が驚きだったのでしょうね。

そして子供を作らなかった理由が母親との確執にあったというのは何とも切ないなと感じました。

恐らく吉永小百合さんが良い子過ぎて親は甘えてしまったのでしょうね。

 

子供は居なくても吉永小百合さんには様々な映画に出演した作品が残っています。

 

そしてこれからも沢山の作品に出て後世の人々にも感動を与え続けていって欲しいですね。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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