八千草薫の本名、プロフ・経歴、死因は?宝塚出身で若い頃は絶世の美女だった!


日本を代表する大女優の八千草薫さんが2019年10月24日に逝去されました。

 

八千草薫さんは雰囲気も喋り方もとても柔らかいイメージで、まさに良妻賢母、日本の優しいおばあさんというイメージでした。

年齢を経ても錆びない容姿と変わらぬ人気は、あの吉永小百合さんと同じでした。

 

そんな八千草薫さんは、実は宝塚出身で昔は絶世の美女でした。

 

八千草薫さんの本名や愛称、プロフィールと経歴を簡単にご紹介すると共に、若い頃の超絶美人の画像をまとめました。

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八千草薫のプロフィール

出典:朝日新聞デジタル

芸名:八千草薫(やちぐさ・かおる)

本名:谷口瞳(たにぐち・ひとみ)

旧姓:松田瞳(まつだ・ひとみ)

愛称:ヒトミ(ちゃん)

生年月日:1931年1月6日

没年月日:2019年10月24日(88歳没)

出身地:大阪府大阪市天王寺

身長:154cm

血液型:O型

職業:女優

活動期間:1947年~2019年10月30日

事務所:柊企画

八千草薫さんは幼い頃に父親が他界してしまい、母一人・小一人で育ちました。

体が弱く、すぐ病気になってしまい、週に1、2日は学校を休むような体の弱い子でした。

 

小学校時代は3ヶ月間も学校を休み、静養のため、空気のきれいな兵庫県の六甲にある祖父母のもとに預けられたこともあり、とても内気な子供だったといいます。

 

 

八千草薫さんが10歳の時に戦争が始まり、空襲で自宅が焼けたほか、学校では勉強より勤労奉仕という時代が長らく続いたため、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界への憧れを胸に秘めていたそうです。

 

 

戦争で空襲に怯える毎日や戦争に疲弊している人々を見ていたら、色があり夢のある華やかな世界に憧れ気持ち、痛いほどわかりますね。

 

 

八千草薫の経歴

八千草薫さんの芸能生活は聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格したことから始まります。

 

女学校に在学中、新聞で「宝塚歌劇団・音楽学校」の生徒募集の広告が目に留まり、

「宝塚って・・・うわ~!」

と、感激されたそうです。

 

そしてひと目その広告を見た瞬間から応募を決意し、母親に相談するとびっくり仰天し反対されたそうです。

 

ですが母親は「入れる訳がない」と考えての反対だったそうです。

 

 

八千草薫さんは反対を押し切り思い切って受けると、見事一発で合格されます。

 

そして母親は、

「せっかく受かったんだから、頑張ってみたら」

と、応援してくれたそうで、八千草薫さんは晴れて「宝塚音楽学校」1947年入学されたのでした。

 

 

宝塚入学入団時の成績は50人中19位だったそうで、入団当初は「分福茶釜」タヌキなど、コミカルな役を演じることが多かったようです。

 

 

ですが1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を博しました。

「源氏物語」で若紫に扮する八千草薫

 

以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡し、同年1952年から劇団内に新設された映画専科に所属し、東宝映画などの外部出演もこなすと、「お嫁さんにしたい有名人」で度々1位に輝くなど映画女優としても人気を博しました。

 

1957年宝塚歌劇団を退団した後は女優の道に進まれると、おっとりとした良妻賢母役がハマり役となります。

 

一方で、1977年に放送されたテレビドラマ『岸辺のアルバム』では不倫に走る主婦役を演じられ、新境地を開拓されました。

出典:Gooブログ

この役を経て従来のイメージを覆し、女優としても一皮むけたのですね。

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八千草薫の女優魂

八千草薫さんはおっとりとした外見とは裏腹に、仕事に妥協を許さない厳しい一面も持ち合わせていました。

 

映画『蝶々夫人』は、日本を舞台にした有名なオペラとして世界中に上演されていますが、日本文化が間違って解釈されており、時代背景や日本が誇るおくゆかしい情緒も全く生かされていませんでした。

 

そこで、

「世界に日本の正しい文化や作品の情景を知ってほしい」

との理由から、東宝がイタリアと合作でオペラ『蝶々夫人(1955)』の制作を決定したのです。

出典:Twitter

ヒロイン蝶々夫人には八千草薫さんが抜擢され、衣装はもちろんのこと日本家屋に至るまで全て日本から空輸し現地入りしていた東宝スタッフの手によって組み立てられた他、助演の東郷晴子など宝塚歌劇団員17名も渡伊しました。

 

当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ行きとなり、映画制作費は当時の約2億円と言われております。

 

現在の価値にするとどのくらいになるのかわかりませんが、かなり高額なのは間違いないでしょう。

 

 

その他には1975~1976年に放送されたテレビドラマ『赤い疑惑』では、主演の山口百恵さんのスケジュールの都合で細切れ断片的な収録を余儀なくされたことに納得できず、自ら途中降板するなど、仕事に対してはかなりシビアだったそうです。

出典:アメブロ

 

こういったこともあり、「性格が悪かった」と言われることもあったようです。

 

 

恐らく歌もダンスもしたことがなく宝塚音楽学校に入学され、かなり大変な思いをされたこともあり、演技に対しては妥協することを許せなかったのかもしれませんね。

 

それが八千草薫さんの女優魂でもあり、魅力でもあったのかもしれません。

 

 

八千草薫の死因

八千草薫さんは2017年末に膵臓がんが見つかり、2018年1月に手術を受けられました。

予後は良好でドラマ収録や舞台『黄昏』の主演もこなされましたが、2019年に入って肝臓がんが見つかってしまいました。

 

「テレビ朝日開局60周年」を記念し倉本聰氏作の帯ドラマ劇場で2019年4月放送開始の『やすらぎの刻(とき)~道』主演・しの役降板し、休業して治療に専念されることを発表されました。

そして代役風吹ジュンさんが務められました。

 

 

2019年5月26日にはご自身が理事を務める日本生態系協会が手掛ける「昆虫の家」の除幕式に出席し、休養宣言後初めて公の場に元気な姿を見せていました。

 

その後は検査のため入退院を繰り返し、直近では10月2日に入院していましたが、冒頭の通り10月24日午前7時45分に膵臓がんのため都内の病院にて逝去されました。

 

報道によると前日まで普通に食事をしていて、「また明日」と挨拶をしていたと言いますが、病状が急変されてしまったようです。

 

最後はあまり苦しまずに逝かれたことをお祈りするまでです。

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八千草薫の若い頃が綺麗過ぎる!

八千草薫さんの若い頃や宝塚時代がとても綺麗だったと話題になっているので、少し画像をご紹介したいと思います。

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/rinjimatsushima/37987355.html

この頃の優しそうな、おっとりとした雰囲気の面影は最後までありましたね。

 

出典:twitter.com

お化粧のせいもあり、私達が知っているおっとりしている印象ではなく、キリッと凛々しい印象の八千草薫さん。

それにしてもオーラがありますね!

 

出典:http://joyuslife.info/archives/3671

和服も本当にお似合いでしたね!

 

出典:Pinterest

可憐でかわいいですね!!!

 

 

八千草薫さん、和製オードリー・ヘップバーンとでも言える程、本当にお綺麗でしたね!

お嫁さんにしたいランキング」1位を獲得したのも納得です。

 

まとめ

八千草薫さんの本名、プロフィールや経歴、死因、そして若い頃の画像をまとめました。

 

八千草薫さんは歌やダンスができなかったにも関わらず、「宝塚音楽学校」に合格され、「宝塚歌劇団」に入団後も娘役で大ブレイクしたのは時代背景もあるとはいえ、八千草薫さんご自身に内面から滲み出る圧倒的な魅力があったからなのでしょうね。

 

画像からも分かる通り、本当にお綺麗でしたし、晩年も内面から出る魅力に視聴者や周りの人達は圧倒されました。

 

最後はあまり苦しまずに逝かれたことを祈るのと、心からお悔やみ申し上げます。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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