永井彰一の経歴は?どうやって過疎化の村に川場田園プラザの成功をもたらしたの?


2019年11月7日の『カンブリア宮殿』に道の駅の様々なランキングで第1位を獲得する「川場田園プラザ」社長の永井彰一さんが出演されます。

 

「川場田園プラザ」は人口わずか3500人の小さな村にありながら年間190万人を集客し、国内だけでなく海外からも注目を集めている道の駅です。

「1日まるごと楽しめる」をコンセプトに、様々な施設が集まっており、従来の道の駅の常識が覆されます。

 

そんな「川場田園プラザ」社長の永井彰一氏とは一体どういう方なのでしょうか。

また、「川場田園プラザ」は川場村という過疎化された村にありながら、なぜ年間190万人もの人を魅了する「道の駅」となったのでしょうか。

その成功への道筋についてもご紹介します。

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永井彰一のプロフィール

 

名前:永井彰一(ながい・しょういち)

生年月日:1963年(56歳)

出身地:群馬県川場村

出身大学:法政大学法学部

職業:株式会社 田園プラザ川場 社長

   (永井酒造 5代目社長/現在は会長職)

 

永井彰一の経歴

永井彰一氏は「川場田園プラザ」社長に就任する前は水芭蕉でも有名な「永井酒造」5代目社長を務めていらっしゃいました。

出典:酒造プレス

 

実はこれは家業で、櫂入れ作業からかき混ぜる作業、酒米を蒸した後にそれを運ぶ作業など、昔は全て人海戦術だったため小学1~2年生ぐらいから貴重な労働力として手伝わされていたそうです。

そして幼心に酒造りを本当に嫌っていたそうで、その気持ちは大学時代まで続いたそうです。(笑)

 

大学は法政大学へ進学されましたが、卒業後はカナダへ渡られました。

 

当時ちょうどワーキングホリデービザという制度が始まったばかりでもあり、バブル最盛期でスキー場の開発やリゾート開発のピーク直前だったため、カナダで本場スキーリゾートの設計を見てみたいという一心だったそうです。

 

まず4ヶ月は語学学校に通い、その後ウィスラーというスキー場に行き、行き当たりばったりでスキーのコースガイドをするための国家資格を取得しスキー会社に入社されました。

そこで外国人のお金持ちの方たちのコースガイドをされていたそうです。

 

1年ちょっとカナダに滞在されていたそうですが、日本にいる父親から捜索願が出たのとビザの件もあり、泣く泣く帰国されました。

 

ですがこの時の海外経験、異文化で生活が今まで生きてきた中や仕事の中に反映されているそうです。

 

日本に帰国した当時の永井酒造は地元の利根沼田を中心に商売をしている会社で、永井彰一氏にとってはビジネスをするには厳しいと見ていました。

そして、

「早く潰れないかな・・・」

と思っていたそうです。

早く潰れればアメリカに戻れると思われていたそうで、どうやったら潰れるか色々と考えていたとか・・・。

 

家業で昔から手伝いもされておりそれなりに愛着もあると思うのですが、「潰れないかな」って思うって面白いですね。

そしてどうやって潰れるか色々考えていたとは・・・。

笑えます・・・。(^_^;)

 

ですがそんな永井氏を変えたのが、「水芭蕉」でした。

出典:松蔵屋

当時(今から30年程前)高級酒は大吟醸は造っていても吟醸酒を造っている蔵はないところに目をつけて1992年に「水芭蕉」を発売しました。

 

それが国内で売れ始めたのをキッカケに嫌いだった酒造りが楽しくなってきたそうです。

 

そして東京・恵比寿にある和と洋のフュージョン料理の店で「水芭蕉」を売っていたのを見た際、「これは海外でも日本酒が売れる」とひらめき海外にも進出されたそうです。

 

実際に海外にも輸出されており、現在では40カ国に輸出海外でも評価が高いようです。

 

永井氏は酒造りが嫌いだったかもしれませんが、海外での経験も役立ったのと同時にビジネスに関しては先見の明があったのでしょうね。

地元でしか商売をしていなかった家業を海外市場に輸出するまでにビジネスを拡大するというのはもの凄い功績だと思います。

「どうやったら(家業が)潰れるか」を色々と考えていたのに、ビジネスを軌道に乗せ海外進出までやりのけたのはとても興味深いです。

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川場田園プラザの成功までの軌跡

5代目社長として「永井酒造」のビジネスを拡大した永井彰一氏ですが、2007年に道の駅の運営を行う「田園プラザ川場」の社長に就任されます。

それまでの経緯と永井氏がどのように経営に取り組み赤字から現在への成長に導いたかを一緒に見ていきましょう。

 

株式会社「田園プラザ川場」の誕生まで

川場村はかつては農業と養蚕が主産業の旧態依然とした農村でした。

しかし絹糸の需要が低迷する中で村民の経済状態は悪化し、若者は次々と村を離れ1971年には過疎指定を受けました。

 

そんな中、「農業を続ける一方で村では観光を新たな産業の柱にしなければならない」と考え、「農業プラス観光」とういスローガンを打ち出したのが当時村長を務めていた永井鶴ニ氏でした。

 

この永井鶴ニ氏というのが、永井彰一氏の父で、以下のような「農業プラス観光」の取り組みを始めました。

1977年には国鉄からD51機関車を譲り受け、村内にSLホテルを設立。

 

1981年には東京都世田谷区と相互協力協定を締結し、農業体験や小学校の移動教室などで世田谷区民が川場村を訪れ、区民と村民の交流が始まる。

 

1989年には川場スキー場を開業。

さらに永井鶴ニ氏は東京農大や東京工大の教授にどのように村を訪れる人達とコミュニケーションの場を作ればいいかアドバイスを求めました。

そして意見の集約という形で上がったのが、「田園プラザ構想」だったそうです。

それを実現するために必要な建設費を必死にかき集め、1993年に田園プラザは着工しました。

 

ちなみに国土交通省が「道の駅」の登録制度を始めたのは同じく1993年で、当初は田園プラザを道の駅にする構想は無かったそうです。

そして田園プラザの事業計画を実現するために同年「株式会社田園プラザ川場」が発足し、1996年に群馬県では6番目の道の駅として登録されました。

 

この頃になると、ミルク工房やミート工房、ファーマーズマーケットといった施設が次々と誕生し、1998年にはビール工房、パン工房、レストラン、物流センターの営業が始まり、道の駅のグランドオープンを迎えました。

 

ですが川場田園プラザの収益は大変厳しい状態が続いており経営は赤字続きでそれを村が毎年補填して何とか営業を続けていたそうです。

 

そして当時川場村の村長だった関清氏は川場田園プラザの改革を行います。

川場田園プラザの改革

・行政指導による株式会社からの脱却

・村役場の担当者に任されていた道の駅の経営を止める

・民間主導に向けた組織替えを行う

そこで白羽の矢が立ったのが、現社長の永井彰一氏だったのです。

 

川場村のような本当に小さい村でここまでの改革を行うのは結構大変だと思います。

「農業プラス観光」という地域活性化プロジェクトを考え出した永井彰一氏の父・鶴ニ氏もとてもオープンマインドだった方ですが、川場田園プラザの改革を決めた関氏も広い視野の持ち主だったのでしょうね。

そしてそれに伴う実行力も備えていたからこそ、「川場田園プラザ」が設立され、ビジネスに長けた永井彰一氏を社長として選ばれたのではないでしょうか。

 

 

永井彰一が「川場田園プラザ」社長に就任してから行った3つの改革

永井彰一氏は当時の村長関氏からの要請を再三断っていたそうですが、

「じゃぁ、3年間っていう期限付きで経営の立て直しをしましょう」

ということで「川場田園プラザ」社長として就任されました。

 

そして永井修一氏が社長として就任してから行った改革は3つありました。

川場田園プラザの3つの改革

1.社員の意識改革

2.サービスや商品の見直し

3.お客様、仕入先、納品先への考え方や心構え

 

まずは1.の「社員の意識改革」の着手した際の社員への言葉に度肝を抜かれます。

当時永井氏が社員に言った言葉というのが、

「今日から私が社長だから、今までどおりに賞与を払えないから、嫌だったら辞めてください」

 

「このままですと、皆さん、賞与はないと思ってください。賞与って、もらえて当たり前じゃなくて、利益が出て初めて渡すお金だから、改革ができなければ賞与を払いません」

 

「お辞めになる方は2週間以内に辞表を持ってきてください」

だったそうです。

しかし実際に辞めた人はゼロで、永井氏は各事業部に3日間かけて何をし、どんな作業効率なのかを細かく聞いていきました。

 

永井氏ははっきりと上記事実を社員に発言することによって社員の意識改革を図ったのですね。

民間で働いていたら「当たり前」なことが村役場の担当者に経営が任されていた当時の田園プラザ社員にはまかり通っていなかったのでしょう。

 

2.の「サービスや商品の見直し」については当時

「ゴミをまたぐ田園プラザ社員」

「あいさつをしない田園プラザの社員」

と有名だったそうで、今は必ず挨拶をするようにし、ゴミ拾いはある程度徹底をしているそうです。

 

そして3.の「お客様、仕入先、納品先への考え方や心構え」は、感謝することで、

「来ていただいてありがとうございます」

「納品していただいてありがとうございます」

といった言葉が全くなく、「買ってやっている」「売ってやっている」という意識を調整しました。

 

結果、永井氏が社長に就任してから2ヶ月で改革の手応えを感じ、現場の雰囲気も変わったそうです。

そして初年度に1年かけて赤字体質から黒字決算に持っていき、社員に賞与を払えるまでに改善させました。

 

2ヶ月でここまでに社員の意識を変えたのも凄いですが、たった1年で赤字体質から黒字決算まで持っていくのも、永井氏の経営手腕が卓越していることが伺えますね。

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永井彰一が掲げる「地産地消」と「本物志向」

道の駅を訪れる人の大半が首都圏に住んでいる人だったため、わざわざお金と時間を使って川場田園プラザにやって来てもらうには川場でしか手に入らないモノ、食べられないモノが必要と永井氏は考えました。

 

川場田園プラザで最も人気の高いファーマーズマーケットに永井氏は、

「輸入物や他県のものは絶対に入れるな」

と指示を出しました。

 

取り扱いたい野菜があればまずは川場村を探し、見つからない場合は周辺の地域を探すように厳命されたそうです。

 

そうすることで村の朝採れた野菜が手に入ると口コミで広まり、徐々に集客が増えていきました。

 

地元野菜への需要が増える中、道の駅では野菜を納入する農家も徐々に増やしていき生産者にはバーコードを提供し持ち込んだ野菜を登録。

それがレジを通るとスマホやパソコンに連絡が届く仕組みを用意し、生産者は必要に応じて野菜を持ち込むことができマーケットでは品切れを起こさずに済むというシステムを構築しました。

 

このシステムのお陰で生産者も田園プラザのマーケット側もWin-Winの関係が築けたのですね。

 

 

「地産地消」「本物志向」というコンセプトを実現するために永井氏が率いる川場田園プラザは様々な新製品を世に送り出しています。

 

例えばそれまで手掛けていた牛乳やアイスクリームの販売を止め、ブームの兆しが見えていた飲むヨーグルトの開発に着手しました。

 

当時「飲むヨーグルト」は周辺の観光地でも販売されていましたが、他から差別化するのと「本物志向」を追求する中で「濃度」に目を向け濃い飲むヨーグルトを発売しました。

その名も「濃いね」。

しかもフレーバーは用意せず、プレーンの一品だけ。

 

ですがこれがヒットし、定価125円の150mlの飲むヨーグルトが今では年間183万本売れるようになり、これだけで約2億円の売上に貢献しています。

最近では『プレミアムヨーグルト』(1800円)を商品ラインアップに加え、こちらも贈答品やお土産として人気を集めているそうです。

 

その他にもカレーやラーメンまで何でも扱うフードコートを止め、地元の味にこだわったメニューを提供し始めました。

そば処では土地のそば粉を100%使ったり、ピザ工房では土地の野菜やソーセージをトッピングしたりと、川場でしか食べられない物を売りにする戦略を徹底しました。

 

そうすることで噂を聞きつけ、テレビや雑誌などが自然と取材に集まり訪問客が増えていったそうです。

 

永井氏の考察した「地産地消」「本物志向」というコンセプトが現代の需要とマッチしたのですね。

またそのコンセプトに徹底的にこだわることで集客を伸ばしたのと同時に、過疎化された村やそこに住む生産者たちのためにもなっており、村民の経済状態に一役買ったのですね。

 

父・永井鶴ニ氏が土台を築き、息子である永井彰一氏が完成させており、川場田園プラザはまさに親子の共同プロジェクトのようです。

 

株式会社「田園プラザ川場」の形態も成功の1つ

「川場田園プラザ」は国内でも珍しい株式会社が運営する道の駅です。

また、国土交通省の出資も受けておらず、土地も100%村のもの。

その上村長から任された事業なので話が決まるのが圧倒的に早いのも、「川場田園プラザ」が成功の秘訣の一つになっているそうです。

 

やはり早く話が決まるからこそお客さんのニーズに答えられるよう施設を増やしたり、商品を出すのも中止するのもすぐに決まります。

 

こういったお客さんのニーズに答えられるスピードも成功の1つなのが伺えますね。

 

まとめ

「永井彰一の経歴は?どうやって過疎化の村に川場田園プラザの成功をもたらしたの?」と題し、永井彰一氏の経歴と川場田園プラザが成功するまでに至った軌跡を見てきました。

 

永井彰一氏の経歴は少し変わっていて面白かったですが、川場田園プラザの成功は実は彰一氏の父・鶴ニ氏から始められたプロジェクトだったのが分かりました。

親子二代で過疎化された村を元気付けるためにこのプロジェクトに携わっているのは何だか素敵ですね。

 

現在日本では地方の過疎化が問題となっていますが、是非この「川場田園プラザ」をモデルに、うまい具合に他の地域でも地域活性化に結びつけていって欲しいです。

 

 

川場田園プラザについて気になる方はこちらの記事も併せてご覧ください。

川場田園プラザってどんな所?普通の道の駅と何が違うの?アクセス・営業時間・料金もご紹介!

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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