元タカラジェンヌ・真琴つばささんが、2018年9月18日(火)放送の「世界の村で発見!こんなところに日本人」でブラジルに暮らす元日本代表サッカー選手の祖母に会いに行きます。
この元日本代表サッカー選手の祖母は田中マルクス闘莉王さんの祖母、田中照子さんだと推測できます。
名前は聞いたことあるけど田中マルクス闘莉王とはどういう人なのでしょうか。
田中マルクス闘莉王さんのプロフィールと経歴、そしてご家族について調べてみました。
目次/Contents
田中マルクス闘莉王さんのプロフィール

出典:ゲキサカ
名前:田中マルクス闘莉王(たなか・マルクス・トゥーリオ)
ブラジル名:マルクス・トゥーリオ・リュージ・ムルザニ・タナカ
愛称:トゥーリオ、トゥー
生年月日:1981年4月24日
出身地:ブラジル・サンパウロ州パルメイラ・ド・オエスチ
身長:185cm
体重:85kg
田中マルクス闘莉王さんは1998年、16歳のときに来日し、2003年に日本国籍を取得しています。
闘莉王さんの出身地の場所はブラジルのどこら辺になるのか気になったので調べてみました。
ブラジル最大の都市・サンパウロの北西約650キロに位置する人口1万人ほどの小さな町のようです。
今でも馬車や馬が町で通るような、とてものどかな環境で闘莉王さんは育ったようです。
田中マルクス闘莉王さんの経歴:少年時代
サッカーを始めたのは9歳の時で、ボランティア活動で子供達にサッカーを教えていたコーチが近所に引っ越してきたことがきっかけとなります。
そこからサッカー教室へ通い上達し、次第に少年チームでは物足りず、大人に混じってサッカーをすることもあったようです。
中学時代は「自分の人生に責任を持つ人間に育ってほしい」という父親の厳しい教育方針のもと、昼間は会計事務所で働き、夜間にオレステス中学校へ通う生活を送られます。
中学の体育教師の熱心な勧誘でバレーボール部に所属し、エースアタッカーとして活躍し、チームの地区大会優勝に貢献します。
また、数学教師の推薦でオレステス中学校代表としてブラジル数学オリンピックに出場し全国大会まで進んだ経歴もあります。
中学時代に本格的にサッカーをやっていなかったプロ選手は殆ど存在せず、中学時代にサッカーから離れていた闘莉王さんのような方は大変珍しいようです。
それにしてもスポーツ万能で頭も良かったのですね!
その上数学オリンピックで全国大会に出場するってすごいことです!
文武両道ですね。
しかも中学の時から昼間は働きに出され、夜は通学。
ものすごいスパルタなのに、闘莉王さんバレーボールも学業もちゃんとされているのも感心です。
でもそういった家の教育のお陰で精神的にも強くなられたのでしょうね。
田中マルクス闘莉王さんの経歴:来日してから
1997年に人に勧められて受けたミラソウFCのセレクションに合格し、そこからプロサッカー選手を目指すようになります。
その1ヵ月後の1998年1月に留学生を探しにミラソウFCを視察していた千葉県の渋谷幕張高校サッカー部監督の宗像マルコス望に才能を見出され、日本の高校への留学を誘われます。
そして同年3月にカバン1つで来日します。
闘莉王さん曰く、最初の1年間が言葉が出来ないために一番辛かったようでが、下記のような言葉を残します:
おじいちゃんとおばあちゃんのような移民の苦労に比べたら、僕が経験した苦労なんて、本当にちょっとしたことだったと感じます。
ブラジルに来て、言葉も文化も違う国でいろんな苦労をして、それを乗り越えて成功したおじいちゃんおばあちゃんの例をものすごく間近で見てこられたということが、僕の力になっていると思います。
おじいちゃんとおばあちゃんがブラジルで家族を作って、ブラジルに根を張って生きてきたことを僕も誇りに思うし、毎回ブラジルに帰ると、逞しい姿をいまでも見せてくれるので、僕もさらにがんばろうっていう気持ちにさせられる。
おじいちゃんおばあちゃんの存在は僕にとって、非常にいいお手本、いいモチベーションになってくれているんじゃないかな。
引用:https://www.jica.go.jp
闘莉王さんの優しさと家族思いな気持ちが伝わってきますね。
そして闘莉王さん、日本に来てからは宗像監督の意向でそれまでトップ下か攻撃的MFだったのが、センターバックに配置され、毎日それまでやっていなかったヘディングの練習を繰り返していたとのことです。
ただし、幼少期の乗馬の経験や中学時代のバレーボールの経験が、跳躍力・タイミング判断・バランス感覚に役立つ形になり、渋谷幕張高校サッカー部の一員として部を初の全国大会出場へ導いたり、個人としては千葉県選抜チームに選ばれ国体に出場し、全国優勝を果たすという快挙を成し遂げます。
余談ですが、この渋谷幕張高校は千葉県でもかなりの進学校で、偏差値は75もある高校です。
数学オリンピック全国大会まで行かれた闘莉王さんですから、日本語は難しかったかもしれませんが頭は相当良いから渋谷幕張でもやってこれたのではないでしょうか。
その上スポーツも万能で成果を残されて素晴らしいですね。
高校卒業後は大学へとは進学せず、おじい様の出身地であるサンフレッチェ広島に加入しプロのサッカープレイヤーとしての一歩を踏み出します。
広島のあとは、水戸、浦和レッズ、名古屋グランパス、京都サンガと、様々なチームでプレーしており、今も現役です。
前述の通り2003年には日本国籍を取得します。
その理由については、
僕ができることはサッカーしかない。日本国籍を取って、日の丸を付けて、プレーをする。日本のためにサッカーをして、お世話になった人たちに恩返しをしたい。
引用:Wikipedia
その後日本代表にも選出され、日本サッカーの勝利に貢献します。
ちなみに闘莉王さんはブラジル国籍もお持ちです。
日本政府の立場からすると二重国籍は認めておらず日本に帰化した者は日本人でありその他の国籍者ではありませんが、ブラジルでは国籍離脱を禁止しているため、いかなる場合もブラジルの市民権は消失しません。
日本では二重国籍は認められていませんが、ブラジルのように国籍離脱を禁止している国もあるのですね!
新しい発見でした!
田中マルクス闘莉王さんのご家族
闘莉王さんの父方の祖父、田中義行さんは広島県で生まれ、祖母の田中照子さんは富山県で生まれます。
義行さんは12歳、照子さんは5歳の時に家族でブラジルへ移民されたそうです。
その後生まれたのが闘莉王さんのお父さんなので、お父さんは日系ブラジル人2世。
従って闘莉王さんは日系ブラジル人3世になります。
闘莉王さんのお母さん(マデルリさん)はイタリア系ブラジル人なので、闘莉王さんご自身の身体も大きいですし、外見も少し混ざっているように見えますよね。
ちなみに闘莉王さんは妹さんがおり、二人兄弟みたいです。
そんな闘莉王さん、初めて喋った言葉は「ママィ(お母さん)」「パパイ(お父さん)」「ボーラ(ボール)」だったようです。
その言葉通り、物心ついたときにはボールを蹴って遊んでいたようで、そのままサッカー選手になられましたね!
闘莉王さんのお父さん(隆二/リュウジさん)は2世ですが日本語はまったく駄目だったようです。
若い頃は小学校(?)高校(?)教師とレストラン経営の傍らで、40歳を過ぎてから弁護士資格を取得し現在は弁護士事務所を開業しているまさに努力の人です。
そして闘莉王さんご自身も16歳で日本語はさっぱり分からず一人来日され、そこから現在のように流暢にしゃべれるまでになるには相当の努力が必要だったと思います。
これは日本生まれで日本人の闘莉王さんの祖父母の影響が大きいのではないでしょうか。
こちらが闘莉王さんのお母様、おじい様とおばあ様の写真になります。

出典:www.jica.go.jp
残念ながらおじい様は2009年4月に91歳で他界されていますが、皆さん優しそうですね。
そしてこちらがブラジルに住む闘莉王さんのご家族の写真になります。

出典:shooty.jp
左から妹さん、おばあ様、お父様とお母様でしょうか。
そして闘莉王さん、2016年にご結婚されて現在は娘さんもいらっしゃるようです。
そして奥さんのお名前はブラジル在住のアリエレ・ゾッピさんで、とても美人なんだとか。
気になり調べたら写真がありました!
こちらが闘莉王さんと奥さんの写真になります。

出典:adpeak.net
綺麗な方ですね!!!
お二人とも幸せそうです♪
そして2016年10月に第一子(女の子)が誕生しています。

出典:http://worldfn.net/
まとめ
闘莉王さんはお父さんの「自分の人生に責任を持つ人間に育ってほしい」というスパルタ教育通り責任ある方になられたのではないでしょうか。
働きながら中学時代はスポーツと勉学に励み、高校ではサッカーで成功の花を咲かせます。
生まれ持った才能もあるとは思いますが、田中家の教育や家族の絆、親と日本人の祖父母の背中を見て育ったから闘莉王さんは努力ができ、成功したのだと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます♪
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