ブーランジェリー・エリック・カイザー・ジャポンの代表取締役、木村周一郎氏は2000年にエリック・カイザー氏と共同出資で「エリックカイザージャポン」を設立させました。
2001年に第一号店を開店させてから現在では全国26店舗、そして海外でも店舗展開をさせるほどの大きな会社、有名なパン屋さんへと会社・店を成長させました。
木村氏、実はあんパンで有名なあの「木村屋總本店」の御曹司なのです!
通常だったら長男として家業を継いでいるはずなのですが、なぜ継承しなかったのでしょうか?
メゾンカイザーはどういった会社でどうして木村屋ではなくカイザーで社長をしているのか調べてみました!
目次/Contents
木村周一郎氏がエリック・カイザー氏と創立した「メゾンカイザー」とは?
「MAISON KAYSER(メゾンカイザー)」とは、2000年に木村周一郎氏と木村周一郎氏のパン作りの師匠、エリック・カイザー氏による共同出資で設立された会社「株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポン」のブランドです。
そして立ち上げの際、二つの経営理念を立てます。
- フランスの食文化に根ざしたパンのある食生活を紹介したい。
日本で広く親しまれている菓子パン類ではなく、ハードパンを中心としたラインナップの店づくりを目指す。同時に食事パンの楽しみ方を提案したいと考えている。
- 「パンのある幸せな食卓を共有する場」でありたい。
お店でパンのおいしい食べ方を話し合ったり、お客様がご自分で作られたパンをお持ちになって職人と試食したりできる。おいしいパンを提供するだけでなく、パンを介して地域のお客様とパンを作る職人、販売するスタッフも一緒にパンのある生活の楽しさを共有できるお店を目指す。
参照:http://maisonkayser.co.jp/company/
この経営理念から、木村氏のフランスパンに対する強い情熱と職人魂、幸せを届けたいという思いが伝わってきます。
会社の概要は下記の通りです:
社名:株式会社 ブーランジェリーエリックカイザージャポン
住所:東京都港区芝浦2-14-5 ユニベル田町ビル2F本店
設立:平成12年9月
資本金:5000万円
役員:代表取締役 木村周一郎/取締役 エリック・カイザー
主な直営店舗:首都圏内16店舗地方店5店舗(2014年3月時点)
従業員数:約600名(社員、アルバイトを含む)(2015年3月時点)
主な事業内容:製パン・製菓の製造販売
製パン・製菓技術指導及びコンサルテーション
食品輸入及び販売
そしてメゾンカイザーでは見るだけでもすぐに食べたくなるような食欲を誘うパンのラインナップがあります。
メゾンカイザーの商品ラインナップはこちらからどうぞ!

出典:メゾンカイザーHP
木村氏がフランスパン作りを始めた理由
木村氏は「木村屋」の長男で子供の頃から、「あなたはパン屋さんになるんですよ」と言われて育ち、継ぐのが当たり前だと思っていたそうです。
幼稚舎から大学まで慶應で勉学し、大学卒業後は家業を継ぐ予定であっても社会経験を積むために別の会社に就職すため人気の高かった金融機関、千代田生命保険(現:ジブラルタ生命)に入社します。
千代田生命を選ばれた理由は木村さんを勧誘した先輩の曽祖父が、千代田生命を創業したメンバーの一人で、初代社長のひ孫がスキー部の後輩だったということもあり、縁を感じたのもあるのではないでしょうか。
それにしてもさすが幼稚舎から慶應だけあって知り合いがすごいですね!
いざ入社すると法人営業を担当しますが、本人のためにはならないという理由から実家である木村家の人脈は使わせてもらえなかったそうです。
就職してから6年後、27歳の時に父親から「そろそろパン作りの修業をしてはどうか」と言われ、将来の跡継ぎも意識し退社を決意します。
昔から家を継ぐという強い刷り込みがあってパン作りを始めたのでしょうね。
木村氏、海外での修業
木村氏は横浜のパン屋でパン生地に慣れた後、アメリカ・カンザス州にある米国立製パン研究所(AIB)にてパン作りの基礎から学び、そこに2年半滞在します。
なんでもAIBは米食品医薬品局(FDA)唯一の研究機関でパン作りを理論的に解析しているところだそうです。
そしてここに集まった人は皆、製パン・製粉業界で品質管理などを担当していた人で理系の修士号以上を持っている人たちだったそうです。
その中に少し前までは金融機関で法人営業をしていたど素人の木村氏ははじめ何が何だか全く分からずかなり苦労されたようです。
AIBで理論を学んだ後、ニューヨークでパン職人として働き一旦帰国。
そしてフランスに渡仏し、パリの専門学校INBPフランス国立製パン学校でパン作りの指導にあたっていたエリック・カイザー氏に師事し、パリの「エリックカイザー」で修業を積みます。
ここではがむしゃらに働かれたようです。
フランスではフランス語ができないというだけでいじめられ、見返すには自分の立場を相手より上にするしかないと考え、他の人が週休2日取っている間に木村氏は1日のみ。
そしてメゾンカイザーはパン職人の間でも「あそこだけはやめておいた方がいい」と噂し合うほどのきつい職場で、職人達は皆早朝から日が暮れるまで店で働き、仕事を終え店を出る時はまつげの先まで真っ白だったそうです。
沢山働き一歩一歩ステップアップして行った末、ある時を境に木村氏をいじめていた人達と立場が逆転します。
それまでの努力が実ったのですね!
ブログ主もフランスに住んでいましたが、フランス人は自分の国に誇りを持っています。
特にパリではフランス語が出来ないとバカにする、下に見る傾向があるので木村氏もかなり大変だったと思います。
フランス人は英語が話せてもまずはフランス語を話そうという努力をしないと英語を話してくれません。
反対に田舎の人達は素朴で結構いい人多いんですけどね!
まー、フランス語しか出来ない人がその分多いですが・・・。
なぜ木村屋は継がず、メゾンカイザーを選んだきっかけは?
「木村屋」を継がなかった一番の理由は、父親で「木村屋」6代目社長の父がある日社長職を辞めたことのようです。
その日を境に木村周一郎氏は今まで「木村屋」を継ぐという自分の目標を見失い、目の前が真っ暗になります。
そんな中、フランスへ渡り無給でいいからフランスパンを作らせて欲しいとお願いし「カイザー」での修業を始めます。
その無給労働の見返りに1日3本フランスパンをお願いします。
かなりの情熱がないとこんなことできないですよね?!
そして前述の通り、木村氏は一生懸命「カイザー」での修業に専念します。
カイザー氏が日本でプロ向けのパン教室をやる事になった時、木村氏もビザの関係で一時帰国をしなくてはならず、アシスタントとして同行します。
その際にきめ細かいアテンドをしたことがキッカケでパンや店の構想など色々な話をする機会があり、信頼関係を構築します。
そしてフランスに戻ったある日、木村氏に日本に戻ったらどうするつもりか問われたところ、「パリにあるようなパン屋さんをやれたらおもしろいですね」と返答したところ「じゃぁ一緒にやろう」という運びでメゾンカイザージャポンの構想が出来たのです。
当時の木村氏は、
「アメリカやフランスに行く段階でも、いずれ自分は木村屋を継ぐだろうという思いでした。父親も当然、僕が後を継ぐと考えていたと思います。しかし結局、自分の力を試したくなって、フランスパンの会社を起業することにしました」
と語っています。
パン作りを始めたきっかけは家業を継ぐためだったのでしょうが、海外に渡りパンの作り方を基礎から学び、その楽しみや奥深さに感動を覚え、もっと追求したくなったのではないかと考えます。
勝手な憶測ではありますが、何代も続く木村屋にはしきたりや縛りがあり、自分が作りたいようなパンは作れないのではないかともお考えになったのではないでしょうか。
そして弟もいる、フランスパンを日本でも広めたいという感情もあったと思います。
そしてそれが木村周一郎氏の天職だったのではないでしょうか。
木村周一郎氏のプロフィール・経歴、家族にいついてまとめた記事はこちらをご覧ください!

そしてエリック・カイザー氏のプロフィールについてまとめた記事はこちらになります。



現在の木村屋は誰が継いだの?
実は木村周一郎氏の弟さんも、「木村屋」は継がずご自身でパン屋さんを経営されています。
では誰が「木村屋」を継いだのかというと、木村周一郎氏の従兄弟にあたる木村光伯(きむら・みつのり)さんという方です。
なんと28歳という若さで明治時代から続く「木村屋」の7代目社長に就任されています。
何でも学生時代から木村屋のパン工場でアルバイトをし、入社後は製造現場、製品開発、百貨店内店舗での販売など「木村屋」で色々とご経験されております。
また、日本と米国のパン学校でパン作りの基礎も学んでいらっしゃるようです。
木村周一郎氏は外から経験を得てきましたが、現社長はずーっと木村屋内で経験を積まれてきた方なんですね。
まとめ
木村氏は「木村屋」ではなく日本でフランスパンを広めるという自分が下した判断には後悔はないように見えます。
「従兄弟が社長を務めている木村屋に戻ったほうがいいのか、自分の会社にだけ集中していればよいのか、結局、父親の考えを聞くことはできませんでした。ただ、木村家の歴史というのは日本のパンの歴史とリンクしています。一つの歴史の継承者として、木村屋とは別会社であっても、私がパン作りに携わっているということが大切なのではないかなと思います。
昔は『木村屋さんのご子息で~~』と言われていたのが、最近では『カイザーの木村さん』と言われるようになって、ある意味で心地よくなりましたね」
と、木村氏はあるインタビューでおっしゃっていました。
単純に大好きなパン作りという職業に携われていることで幸せなんだと思います。
そして家業でもあるパン職人、ある意味木村周一郎氏はあんパンの「木村屋」は継ぎませんでしたが家業は継いでいると言ってもいいのかもしれませんね。
現在は大好きなフランスパンを日本にも広めたいということで伝道師をされています。それはパンを売る事だけではなく、パン作りの指導だったり、お店に来たお客さんにフランスパンを使った夕飯の献立を一緒に考えるとか・・・。
今も尚、ご自分の大好きなパンのことを広める、それが「伝道師」になったのでしょうね。
今後も何をされるのか楽しみです。
最後までお読み頂き、ありがとうございます♪
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